幸いにして、今回の母の入院はそんなに重篤なものではないと思っています。
それでもいつか遅かれ早かれ別れる時は来ますよね。
機能不全家族が多い世の中で、うちでも弟は母に対して
わだかまりを抱いているようなんですが、私にはそういうのがないから、
まだ最期の時には私の大事な仕事が残っているなあ、と思います。
母の人生を肯定し、祝福し、感謝すること。
これは宗教者ではなくて私がやらないと意味がないと思います。
そのときのためにしっかり気を張っていないとね。
「出来る。大丈夫」という羽生さんの言葉の力を借りるのだ。
父の臨終に立ち会った時でも、そういう私の力以上の力が出せたので
きっと母の時も大丈夫だろうと思いますが…。
なぜか私はそういう看取りの場所にいるべき役割があるんだな。
それは自分でもわかります。それも後悔しないために必要なことだとも…。
父は夢にも一度しか出てきてくれませんでしたし、満足してくれたのかな、と。
だったらいいなあ (^_^;) …では、行ってきます (^_^)