昨日はなんとか母のところに行ってきまして、それだけで結構疲れたんですが、郵便局にも寄ってきました。
本当は木曜日が訪問マッサージの日なんですが、先生の都合で今週だけ今日に変更になりまして、11時から作業療法士さん、1時からマッサージとなっているので、両方が終わらないとお昼も食べられないですね (^_^;) まあ、腰の痛みがマシになるのを期待しつつ…。足から腰から背中から頭まで全部つながっているのが実感としてよくわかります。神経回路が目に見えそうな気分… (ーー;)
夏の介護計画
で、昨日も母には「はよ帰りー」とは言われました。それでもしばらく話をしてきたかな。
夏になっても掛け布団を脱ごうとしないらしいので、施設の標準の布団だと暑いから、肌掛け布団があるといいですね、と看護師さんに言われました。タオルケット、私も嫌いだし、母も嫌いだしな〜。「来週持ってきますね」ということで。
帰宅して押し入れを探したら肌掛け布団が2枚、洗濯してしまってあったので(自分でやったんだけど)これを2枚とも持っていこうと思います。来週の荷物は嵩高いですね。
それと、胃ろうの造設から半年過ぎるので、相談員さんが調整してくださって、8月12日に交換になりました。
隣接病院に先生が来てくださるらしいので、非常にありがたいです (^_^) 私はその前に早めに言って説明を聞くくらいですね。
こういう医療の関係はさすがに充実している施設でありがたい限りです。特養でも、施設によっては胃ろうになると置いてもらえなくなるところもあるそうですから…。同じグループの中の病院が隣にある、というのが大変助かることなので、毎日顔を見に行ける近さのところではなくて、私は最初からこの特養しか申し込みをお願いしていませんでした。
在宅時のケアマネさんに「ホントにここだけでいいんですか?」「お願いします (^_^)」ということで、気合いの入った書類を書いてもらって、我が家の場合、私も弟も障害者なので、待機半年ほどで順番が回ってきたんですね。
こういう場合、最優先は「独居の方」、次に「老老介護の方」それからうちのように家族が障害者、ってことになるみたいです。こういうことを書くと優遇されているように思われがちですが、それだけすごい大変なのは事実なんですよね。3年前、風邪を引いて耳がおかしくなっても耳鼻科に行く余裕もなかったくらいだし… (ーー;)
あー、3年前はすごかったなあ。心不全の母をどうやって入院させるかで、すごく多くの方に助けていただきましたし、その母の入院中に自分が交通事故に遇うし。整形外科に半年通院している時に蜂窩織炎になるし。ネズミは大暴れするし、ダニが発生して全身噛まれるし…。いろいろありすぎました。自分のことをかまう余裕なかったですね〜 (*-д-)-з
本当は家に連れて帰れたらいいけれど、無理なのはわかっているから、そこはなんとも切ないものがありますが… (ーー;)
残ったステッカー全部貼りました。これ以上は「いらん」そうです (^_^;)
ネガティブ・ケイパビリティ
この程度の活字なら、なんとか興味が先立って読めるようです。専門書よりも一般書に近いですし…。
いま読んでいる途中の本がちょっと目先が変わって面白いです。
ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力 (朝日選書)
- 作者: 帚木蓬生
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2017/04/10
- メディア: 単行本
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ネガティブ、とありますが、一般的に言われている「ネガティブ」とはちょっと意味が違う感じがします。
ものごとの白黒がはっきりつけられないことの方が圧倒的に多い世の中で、あえて白黒をつけないままで、苦しくない生き方をどうやって見つければいいか?みたいな感じでしょうか。私は要約が下手だからすみません。
結局それというのは「共感」だと言うのですね。答えははっきり出せないけど、なんとなく心を寄せて傾聴すること…。カウンセラーの人たちが使うような方法だと思います。ちょっとじれったい気はするけど、その人の答えは結局その人の中にしかないんだし…。そう考えるとまあそれもありかな?と思えます。
そもそも「創作」に対する姿勢というのがそのネガティブ・ケイパビリティだというのはすごくよくわかります。キャラクターが生きてて勝手に動いてくれないと何も出来てこないですから…。
結構私はイライラしがちですが、こと創作にかけては気が長くなります。本を作るとか、漫画を描くとかは平気で数年がかりでしたから…。答えがない世界で浮遊しててもそれを楽しめるというのは創作の中だけですもんね〜。
創造行為は、人間が神の位置に立って、無から有を生じさせる営為なのです。だからこそ、通常の能力ではなく、ネガティブ・ケイパビリティが介在しなければならないのだとも考えられます。
とあります。なんだかそのことだけはわかってしまう。きっとそれがあるから、メモリの大きな物差しで時間を見るようなことが出来たりするのかもしれません。
興味深いです。ネガティブ・ケイパビリティが人を救うのだとしたら、私は「創作」を通して救われているのかもしれません。