十二国記の名言に元気をもらう日々
このところ、本当に疲労感が強いし、うつというよりはいままでに感じたことがない深い孤独を感じることが多いです。
でもおそらくこれは自分が望む方向に本当にお手本になる人が存在しないからじゃないかと感じています。いくら本を読んでも見つからないロールモデルというやつですね。こういう気持ちの時にはむしろフィクションに触れる方が気分が楽になれますね。
自分が主人公である自分の人生だしね(^_^;) で、このごろよく読む十二国記の名言をあれこれと思い出してしまいます。
「まず自分がしっかり立てないと、人を助けることもできないんだな、と思って」
「そうでもないぜ。人を助けることで、自分が立てるってこともあるからさ」
ーーーーーー陽子と六太
「おまえはお前自身の王であり、己自身であることの責任を知っている。だからおまえは半獣を友とし、
その想いに応えた。自らを統治できぬものに、国土を統治出来ようはずもない。」
ーーーーーー延王尚隆
昨日、たまたま見つけたつぶやき。
この人の「幸せ」ってなにかなあ?と考えてしまった…。
そして「幸せ」については人はどこまでも平等なのだなあ、と実感。
で、十二国記にはこういう名言もあります。
自分の不幸しか見えなくて、自分の境遇を嘆くばかりの鈴に采王からの言葉が…。
「生きるということは嬉しいこと半分、辛いこと半分なのですよ。
人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、
ただその人が幸せであろうとしたからなのです。
苦痛を忘れる努力、幸せになろうとする努力、それだけが人を真に
幸せにするのですよ。」
ーーーーーー采王黄姑
「なまじ言葉が通じれば、分かり合えないとき、いっそう虚しい。
必要なのは相手の意を汲む努力をすること、こうだと決めてかからずに、
相手を受け入れてあげることなのです。」
ーーーーーー采王黄姑
「しあわせだ。
って胸を張って言えるわけじゃないど、少なくとも自分に嘘はついていない。
生活だって楽じゃないけど、一生懸命生きてるよ。」
ーーーーーー蘭玉
蘭玉は非業の死を遂げるんですが、それでも日頃彼女がこういうふうに感じていたことが救いに思えます。
まとめてつぶやきの人に送ってあげてもいいかもしれないなあ…(^_^;)
手足の不器用化は自分でも許しがたい
そういえばこのごろ、私の手足も不器用になりました。加齢のせいかリーマスのせいかわからないんですが、特に右手が不器用です。
もともとリーマスを飲みだしてから字がまともに書けた試しがないのですが、左手の震えは強引に止めてペンタブ握っています。でもこれも厳密にはペン先と頭で認識している位置とに誤差がわずかにあるんですよね。よく違うメニュー開いてしまうし…。
右手は時々お箸を持つのもおかしくなることがあります。たまにですが…。きちんと握れない感じがすることがあります。もともと右手では細かい作業はあまりしませんが、針仕事とかは右手がメインなので、よく持っているものを落としてイラつくことがあります。
リーマスのせいか、加齢のせいか、もしくは頚椎あたりから原因がないとも限りませんが、なにしろ日常がちょっとだけ不自由ではあります。
いま以上に動かなくなったら困るから、簡単な手機とかどうかなあ?と思ったりする…(^_^;) いや、洋裁もやればいいんだけど…。こっちも前から興味はあるんですね。こういうの。
基本的に運動神経がダメなのは納得してるけど、手先が不器用なのって自分で納得できないからなあ…(ーー;) こだわりっていうのかなあ?
自己満足の結果(^_^;)
このあいだ描いていた作品、B2で出力してもらいました。ベッドの上に飾ってあります。
クオーレさんの12色インクのプリンタの再現度は相当綺麗です。RGBモードのままでいけるので、発色もいいんですね。おすすめです。
クオーレさんはこちら。
反射していて見づらいかも…。すみません。