介護録ってかなり膨大かも… (;゚∀゚)
ぼちぼちと、2006年からのブログの介護部分をまとめ始めたのですが…。これって全部で文庫300ページ以内に納まる分量かなあ??出版社の計算には300ページくらいしかなかったのに、それで納まらなかったらどうしよう???うーん…。
11年前の記録ですが、当時も「休みたいのに休めない」とか「弟が役に立たない」とか言ってて、そのへんはいまと同じじゃないかと思います (ーー;) 苦労もおんなじ… (*-д-)-з
当時はLovelogで書いていて、コメント欄も開けていたので、いろいろな方がコメントしてくださいましたし、父が亡くなった時には40名近い方々からお悔やみのコメントをいただいておりました。みなさん、お元気にされているといいなあ、と願っております (^_^;)
自己肯定感はやっぱり高い私
そういえば「自己肯定感」という言葉で検索していて、ここのブログのユーザーさんが作成されたという診断テストを見つけました。プロのテストじゃないから、むしろ気軽に出来るかもしれません (^_^;) 好奇心でやってみた。
で、私の場合はこんなでした。
自分に自信が持てないとか、そういうことを耳にするのはわりと最近ですよね。それこそ11年前には話題になりませんでしたし、HSPと同じく、わりと新しく定義された言葉なのかな?とも思うんですが…。
でもあちこちのブログにお邪魔して、これほど多くの方が「自己肯定感が低い」と嘆いておられるのは意外というか、どうしてだろう?と不思議に思いました。
それについての専門書を読んだわけではありませんが、どうやら幼児期に親のあり方によって自己肯定感と言うのが作られるものらしいというのはわかりました。本当に無条件の愛、というか「あなたは大切な人。大事な存在」と我が子に伝えられない親が結構いるっていうことですよね…。それって教育云々以前に大問題ではないのかしら?
だって生涯を左右することですしね。「あなたはとても大切な人。あなたが生まれてきたことには大切な意味がある。自分を大切に生きなさい」って…霊的真理そのものなんですけど…。それを教えてもらえなかった人が少なくないんだなあ、と… (/_;)
両親には感謝しています
無条件に存在を肯定するのが親の愛情、といえば…私の両親はやっぱりそうだったんだろうな、とも思いますし、両親自体がそうやって生まれ育ってきたのだとも思います。教わらずとも知っていた感じ。
特に母は子供の頃からずっと優秀で、性格も良く、小学校の担任に「いままでに見てきた子の中で、あんたは特別にええ子やった。あんたがこのまま大人になったら、どれだけ素晴らしい人になるんやろう」と言わしめたくらいですから…。
その母が「あんたはその私よりもよう出来る子や」(だからその根拠はどこから??)と言われて育って、あんまり身体が弱いから、「生きててくれたらそれだけでええ」とも言われましたが、まあ、おかげでいつのまにか10代で自己嫌悪ともお別れして、根拠はどこにあるのかわからないけど、とにかく自己肯定感はあって、どれだけ逆境でもそれなりに幸せを感じられる人間に育ちました。
特別な資金も教育費もかかりません。基本的に夫婦の仲が良くて、子供を愛してくれていたらそれだけで充分に幸せを感じられる子になるんですよね。まず他人と自分を比較しなくなります。他人と比較ばかりしていると永遠に幸せになれないどころか、まったく意味がないんですよね。それよりも「自分だけの確かな幸せ」を見つけることの方が大事。
それに至れる過程でものをいうのが自己肯定感なんだと思います。
いやー、本当は親がなんといおうと、霊的なところから見たら、みんな限りなく平等に幸せを感じられるチャンスが与えられていると思うんだけど…。それに気付けるか気付けないかの違いだけですよね。
みんな本来は大切な存在で、幸せになるために生きているし、誰かの大切な人なのは同じなんだけどなあ…。こういうのってあきらかすぎるくらいだけど、気付かない人はなかなか気付けないんですよね。はたから見ているとすごくもどかしいですが…。
これからの子供たちへ
だからこれからお母さん、お父さんになる人はどうぞ教育について考えるよりもまず先に、夫婦仲良くしてください。それと子供は本当に大切な自分たちの宝物だっていうことを伝えてあげてください。
私の従姉がやっていたように、どんなに遅くなっても毎日一度以上は子供をぎゅーっとハグしてあげるのもいいかと思います。あなたはどれだけ大切か、って身体からでも伝わるし、言葉でももちろん伝えてあげて欲しいと思います。
幼児期にそうやって接することの大切さがわかったんだから、これはやらない方法はありませんですよ (^_^) 抱きしめるだけですよ。子供の生涯の幸福のために、これからのご両親には是非ともよろしくお願い致します。
自己肯定感は他者肯定感でもある
すでに大人になってしまって、取りあえずハグしてくれる人もいない場合は、やっぱり容姿とか才能とか学歴とかそういう後から不随するものを全部忘れて、生まれるまえの魂だけの自分を思い出すのもいいのではないかと思います。
外見も不随するものもなにもない「自分」ってそれでも大切だって思ってくれる人がいたら幸せだし、その「誰か」も純粋な魂だけの存在だと想像してみたら、なにを引け目に感じるのか、とか気後れする必要があるのか、とか、そういうことも全部どうでもよくなってきますよ。
実は私はそうなんです。私が見ている「人」というのはそういう魂の存在がメインなんです。だから外見とか、経歴とか学歴とかそういうものにはまったく左右されないのです。その人をその人たらしめているものだけが大事なことなんですね。
最初は難しくても、時々、そういう視点を思い出して欲しいと思います。自由と解放。こだわりの馬鹿馬鹿しさも実感出来てきます。本当に自分がやりたいことも見えてくると思います。