仕事が入って浮上のきっかけになりそうです (^_^;)
昨夜、ココナラ経由のデザインの仕事が入りました。
これも直感が勝負(?)なので、メインのイメージは大体決まりました。
そうしたら不思議なことに、「描けない〜(>_<)」と落ち込んでいた自分の絵についても、鉛筆が動き出した感じで、まだラフの途中ですが、仕事が済んだら描けるな、と楽しみが出来ました (^_^;) ラフは途中でも完成予想図が見えた、という感じです。まあ、たいしたことない作品になるでしょうが、リハビリみたいな感じで描ければいいなあ、と思っています (^_^;)
なんでしょうね、この現象?脳のブロックみたいなものがいきなりはずれたような感じがします。なにがブロックしていたんだろう?
双極性2型障害とどういう関係があるかわかりませんが、少なくとも私にとっては深い関係があるような気がします。絵が描けるようになれば、そのこと自体に抗うつ剤のような作用があるので、自然に浮上することが可能だと思います。いままでずっと「描くこと・書くこと」に救われて生きてきた私ですから…。多分一番いい薬だと思っています。
私はやっぱり描(書)かないと生きていけないです。
今日明日は仕事頑張ります〜 (^_^;) 結構難題?…まあ、やってみないとわかりませんけどね (^_^;)
HSPは本能的な危険に気がつく
先日、こういう記事を見ました。
いやー、命拾い出来てよかったです、この方。
この魚の写真を見て、模様の色が「毒々しい」と瞬時に思ったんですが、確かにカワハギの顔はしてるんですよね。非常に紛らわしいですが。
でも毒のあるものって、そうじゃないのもありますが、大抵「なんだか毒々しい」と感じる色や形をしてますよね。この「毒々しい」という感じ方ってすごく重要かもしれません。
Highly Sensitive Person(HSP)である人って、こういうものにもすごく敏感だと思うのです。「なにかおかしい」と感じて命拾いしてきたんじゃないかなあ…。
子供のころはよく対処法がわからなくても、大人になるにつれて、苦手なものがはっきりわかってきて、それによってほとんど無意識的に近く危険を避けているケースもままありそうな気がします。
私は多分生まれてから一度も食中毒になったことがありません。自家中毒は原因が違うし、よく似た症状の風邪を引いたことはありますが…。母が細心の注意をしていたのもありますが、見た瞬間に「食べたくない」と感じたものは食べないようにしていたのもあります。
病的な偏食は別ですが、子供の偏食でその子にしか理由がわからない偏食があってもおかしくないなあ、といまでは思っています。「自分の身体には合わないもの」と鋭く判別している子がいてもおかしくないと思いますから…。
見た目で「キモチワルイ」と感じるのも結構重要かもしれません。アレルギーの原因にもなりかねませんし…。写真の魚、どう見ても食べたいとは思えない。やっぱりキモチワルイ。
Highly Sensitive Person(HSP)はこういうことを初めとしていろんなことに敏感なのだと思います。
静寂と自然を愛する性分
昨日、クリニックの帰りに交差点を渡ろうとしたら、ずいぶん遠くから大音量で音楽を鳴らしている車がいて、なかなかその音源が特定出来なかったのですが、窓を閉めていても伝わるベース音の振動とか、よくあれで頭や耳や神経がおかしくならないなあ…と思いました。
私からすると信じられない神経です。
私は長年、自分の部屋にいても父の異変がすぐにわかるように、一切の音楽をシャットダウンしていたので、人工的な音のない自然音だけの世界の方が落ち着くのですね。それで実際に別の部屋にいても家族の異変に真っ先に気付くのも私でした。
いまでも気に入った音楽は低い音量でMacでこそっとBGM的に聴いてます。電話が鳴ってもチャイムが鳴ってもわかるように…。でも時々聞き逃しますが…。基本的にお茶室みたいな場所だとか、人が少ない美術館とかだとすごく落ち着きます。
家にいる多くの時間を自分一人で過ごすのがとても快適です。人と関わるのは嫌いではないですが、すぐに疲れるから多くの人に出会いすぎるのは避けたいです。人ごみも同様だから、出掛けるにしても人ごみじゃない方が好ましいです。(このごろの京都にはそういう場所も減ってきたけど)
方丈記みたいな暮らしが出来たらいいなあ、と思います。ただし、Macとネットは必需品ですが… (^_^;)