訪問看護は初めてお休み
いつもの担当の看護師さんが休暇中だというので、かわりに行動療法師さんがお邪魔します、という連絡があったのですが、なんだか頭痛がするから、もうついでに(?)今日は訪問看護をお休みしていただくことにしました。私が「お休みしてください」と言ったのは多分初めてだと思います。まあ、たまだからいいよね。
頭痛がなければ風俗博物館なり、お稲荷さんなり行きたい気はするけど、仕事もありますし…。
なんというか、時間に追われてパニックするようなことでは逆効果になりそうですが、ほどほどの仕事とか自分に課した課題がある方が希死念慮が離れてくれる気はします。不思議ですけど…。そのほどほど感がすごく微妙ですけどね(^_^;)
でも今朝はご飯も作りました。あるものが少ないから野菜炒めとだし巻き卵くらいしか作れなかったけど、あとはパックのお惣菜とかお漬物くらいでいいかな、と思います。残りご飯を冷凍にしていたら冷凍庫の場所をとるので、1合半しか炊きませんでしたけど…。本当に買い物不便だ、このあたり…(ーー;)
お絵描きとタブレットのゲーム
何日もかけて絵の下書きもしていますが、そろそろ今日あたりには終わるといいな。下書きの段階である程度最終的な出来具合が予想できてしまうので、納得出来るまで妥協したくないのですよね。下書きができたら、絵の半分は完成したくらいの気分になりますね。
タブレットの方にはぬりえの他にこういうカラーゲームも入れています。
配色で並べるやつかな。意外に難しいのもあるし、それほどでもないのもあるし、世界平均より早く完成したのが自分にとって「わかりやすい、見やすい色なのかな」と思っています。
まあ、でも基本的にゲームは私は気力が続きません。カラーの方で3、4個続けてやったら、もういいや、って感じです。ぬりえは一つのパターン(まだ初心者向け)を完成させたらもういいや、と思うし…。もともとゲームと相性が良くない人間の集中力なんてそういうもんですね。
お絵描きが続くのとは全然違うな。ブログが続くのとも全然違うな(ーー;)
他人の話を聞かない精神疾患の人たち(^_^;)
これは私の主観にすぎないので、どこまで正しいかどうかわかりませんが、このごろなんとなくわかったことがあります。双極性障害の患者さんだけに関わらず、精神疾患の患者さんって、あんまり「他人の話を聞いてないよね」(^_^;)
これは私自身もそうなんですが、ブログならブログでもあくまでも数ある情報のひとつに過ぎなくて、ピンとした部分は知識として残るけど、「こうしたらいいと思います」という部分はほとんど残ってないんじゃないかなあ…。
でもそれでいいと思うのです。誰か限られた人物の体験談だけを盲目的に信じることは非常に危険だと思いますし、それをやってしまうと洗脳状態になりかねませんし…。
いろいろな専門家や当事者の知識や体験談で自分に有効なものを取り入れて、そこから自分にしか効果がないかもしれない方法を探して行くのって、あるべきやりかたなのかもしれません。
もちろん、基本はあって、信頼できる医師と細やかに相談すること。特に投薬についてはものすごく個人差があると思うので、自分と相性のいい薬と分量と飲み方を見つけていく必要がありますが…。
あとはなるべく規則正しい生活を心がけていくことと。(いや、もうこのへんから読まない人は増えると思うけど(^_^;))
個人的にはブログを書くことも結構意義はあると感じています。自分の気持ちと冷静に向き合えるようになりますし。じっと秘めているのではなくて吐き出す場所があることが大事ですね。
きっとなにか意味があるんだろう
別に病気のことだけに特化したブログでなくてもいいと思います。私なんか基本は「日記」なので、介護の話や昔話や絵やデザインの話題も出てきますけど、これが気楽な形なのです。同じテーマだと飽きますよね。
本ならばテーマは必要ですが、そういうものではないから、ある時は闘病記、ある時は介護記録、ある時は思い出話、また仕事の話やお絵描きの話。いろいろあってもいいと思う。
引き出しが多いから、自分で書いてて飽きないというのは大きいです。簡単だからテンプレートのグラフィックをよく変えるのも、飽きないために有効なんですよね(^_^;)
継続に意義があるかどうかはわかりませんが、いつのまにか続いてたから、まあ、もうじき丸13年になりますが、私にとってはちょっとした歴史の記録かもしれませんね。
1本あたり1時間平均で書くとして、トータル7000時間以上…。まあ、なにかになっていると思いたいです(^_^;)