なかなか心身はきつい毎日です
昨日ちょっと無理して歩いたからか、今日は非常に足が重だるくて辛くなっています。もしかして扇風機をつけて寝たからか?と思って見て見たら、持病がなければ都市伝説みたいだし、首ふりで遠くに離してしかつけないし、特に問題はなさそうな…。
全然体温は下らないし問題はないと思うけど、もしもだるさがひどくなるとかあれば、いさぎよくエアコン使った方がいいのかもしれませんね。悩むところです。
でも今日は母の所に行きたかったけど、歩ける自信がいまいちないのでやめておきます。明日にしよう。あとでコンビニでも行ってこよう。…しんどい…。昨日の午後もほとんど寝てましたけど、この時期が過ぎないと動けそうにないのがもどかしいです (ーー;)
競争の必要性を感じない… (ーー;)
先週、看護師さんに「弟さんと喧嘩とかされたことありますか?」と訊かれたんですが、これが振り返っても…ないんですよね、一度も。「5歳も離れていると、あえて喧嘩する必要もありませんし… (^_^;)」母に言わせると「あんたが相手にせんかった」と言うことですが。
…そういう両親も夫婦喧嘩をしているのを見たことがない夫婦だったので、我が家の場合は「喧嘩は必要ない」と思っていたきらいがありますね。喧嘩をしないと伝わらないことなんて滅多になかったし。
もともと私が生まれつきに「人と競争するのが嫌いな人間」だったのもあるかもしれません。まあ、経済発展の時代で、競争するのは当然のような世の中ですけど、私には常に「負けたくない相手は自分自身」で、他の人はいろいろな個性があって、素敵だなあ、と思うところや、いまいち惜しいな、という人間的に惜しいところもあったりしますけど、そういうのって全部その人の「個性」なので、それは基本的に相性が合う、合わないはあるにしろ、なにをどう競争したらいいのか、まったくわからないままでした。
乗り越えないといけない相手もいないし。親も障害ではなくて理解者だったし。尊敬出来ない教師は問題外。
シンプルなところでは簡単なゲームで勝敗を決めることさえ苦手でした。勝っても嬉しくないし、負けても悔しくないし、正直、なにが面白いのかわからない… (ーー;) トランプやボードゲームもそうですし、甥っ子が幼稚園くらいの頃、「おばちゃん、対戦ゲームやろう」と言ってきて、生まれて初めてコントローラーを持ったものの、画面の動きに脳と目がついていけず、「ごめん、無理やわ」と言ってから、テレビゲームの類にはまったく手を出していません。
ギャンブルもそうですよね。やっぱり面白さがわからないです。パチンコは一度やったことありますが。あの音には心底めげて二度と来ないと決めました。こういう刺激に対する弱さも相まって、ゲームの類ではまったく心もときめかないのです。
あとはなんだろう…?成績とかかな?テストのあとで「クラスで何番、学年で何番」とか出ることはありましたが、それすらほとんど興味がなかったですね。「うーん…。まあまあか。まあいいか。次はもうちょっと上がるといいな」くらいですぐに忘れた。
こういう人間だからライバルとかもいませんでした。スポーツ系はもとから駄目なのは嫌と言うほどわかってたし。運動会なんてひたすらしらけてさぼってた。
競争社会で生きるのは本当は生き辛いタイプの人間なんです。価値観が別のところにあるから…。
己の敵は己しかいない
長いこと生きてるとホントにわかるわー。誰かと競争するだけでは解決不可能な課題の多さが…。目の前の課題をひとつずつ着実にこなしていくことで、過去の自分よりももっと強くなれる、というか、負けたくないのは過去の自分だって痛感するんですよね。
私みたいにもともと体力的にも強くない人間はまず自分自身との闘いで負けないことが最重要課題なんです。死神だってすぐそばにいるんだし。
「他人に勝つより己に勝て」って武道みたいだね (^_^;) でも案外メンタルを強くするには大切なことかもしれません。
競争心がない、というのは劣等感もないのですね。だから他人の成功も素直に喜べたりします。
私の場合はこういうことも生まれつき持っていた気がするので、いまさら変えことも無理だし、変える必要もないと思います。
ちなみに闘争心が頭をもたげるのは大事な人を守りたい時だけだよ。