このあいだからいろいろ言っておりますが、眼とか背中とか、疲労倦怠感とか、身体の方が辛いので、しばらくPCに向かう時間を減らそうと思っています。すなわちほとんど同時にブラウザを立ち上げている時間を減らすということですね。
ネットをやめてしまうと困りますし、メールチェックも必要なので、まったく封印するわけにはいきませんが、しばらくはいろいろな反応が遅くなったり、お返事ができなかったりするかもしれませんが、お許しください。見逃さない限りチェックはできていると思います。
いま、ちゃんと休養しておかないと仕事が入った時に対応できないと困りますし…(^_^;) ブログは書きたい時は書くと思います。生ぬるくおつきあいいただけると嬉しいです。
昨夜NHKで「不寛容時代」というような番組が放送されたそうですね。うちにはテレビがないし、実際に見ていないから、内容についてはわかりませんが、タイトルだけで考えたこととかつらつらと書いてみたいと思いました。
不寛容、っていうのは差異を許さない、という意味だとすると、外見的な人種とか国籍とか、障害のあるなしだとか、そういうところもありますし、個人個人の考え方の相違を認めない、許しがたいというパターンの方がずっと多いかもしれないと思います。
ネット炎上もそうでしょう。相手が有名人の場合は立ち直りが早いからまだしも(でもバッシングはあるよね)一般人の場合でも容赦なく炎上させる(しかも匿名でという卑怯さ)というのは「あんたの考え方は我々とは違うから認めない。許さない」ということですよね。これって集団的弱いものいじめと同じじゃないですか?
100人いれば100とおりの考え方があってもいいと思うのに、それが通用しない。それ、実名でやれますか?出来ないのがネットの卑劣なところですね。
で、ごく普通の人の一生を台無しにしても、「みんながやったから」ということで罪悪感も感じないままで終わってしまったら、人間として失格じゃないのかな?こういうのってネットがあるところ、あらゆる場所で存在してますから… (ーー;) それなりの社会的地位にある人だってやっているという恐ろしさ (ーー;)
この「差異を認めない不寛容さ」はあらゆるところで共通していますね。ジェンダーの問題や、個人の生き方に及ぼす影響まで…。なにげなく人が言う「まだ結婚しないの?」とか「二人目の子供は?」とかいうセリフにもそういうことは含まれています。
誰かが決めたわけでもない、ただ「多数の人がそうしてきた」というだけで、それがまともだという価値観にされて、そこからはみ出す人に容赦なかったり。
学習帳の表紙から昆虫の写真が消えた時、「はあ?」と正直呆れましたが、あれも虫が苦手な子がいるからって保護者がクレームつけたからですよね?生理的に嫌いなものは仕様がないから、他のノートで代用するとか、そういうことは出来なかったんだろうか?クレームというよりもそんな我が侭が通るのが現代なんだ、と呆れましたけど。
私が気付かないだけで、こういうことはきっといっぱいあるんだと思います。違う意見を聞いてみて、それから判断しようとか思わないのかなあ??
ここしばらく注視していたまとめ記事がありました。パニック障害関連のね。おおもとの記事は「パニック障害はこういうことになるから、仕事中に発作が起きたら、こういうことを気をつけて欲しい」ということを漫画で描いたものでした。
それに対してのコメント欄を見ていたら、まあ、いろんな意見があるのは当たり前なんだけど、次第に荒れてきて、終いには同じ病気の人がキレて、「理解してください」どころか反対意見の人に喧嘩を売っていた… (ーー;) 完全に逆効果やん。
攻撃的になりやすいタイプの病気はありますが、そうじゃなくてもたやすく冷静さをなくしてしまう人もいるんですね。本当に理解して欲しいのなら、論理的にも感情的にもきちんと粘り強く説得が必要だと思うんですが…。
反対意見を受け入れるのが難しいという不寛容がそういうところにもありました。こういう事例はいまはあちこちにあるんだろうな。
考え方や生き方の多様性を認めない社会って恐ろしくないですか?極端に言えば生物学的な絶滅だって想像出来てしまう。
そういうことも考えられないほど、いまの社会にゆとりがないのか、優しさがないのか、わかりませんが、いま現在なんらかの形で「生きづらさ」を感じている人たちの危機意識の方がまともかもしれないと思えて仕方がありません… (ーー;)