お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

自分の価値観に家族の生きざまを感じてしまう

訪問看護の日でした。

 

考えてみればこの5日ほどはいろいろとあって大変だったような気がします。いつも「なにかいことありましたか?」と聞いてくださるのですが、障害者ITサポートセンターのサイトを印刷してお見せして、話をしましたら、喜んでくださいました。

 

まあ、「お試し」という感じで、お互いに様子見みたいなことがあるから、気軽にやってみればいいですね、ということになりました。まだ描いてないけどイメージはあります。そろそろ描き始めてもいいかもしれません、と言いながら、自分の絵を完成させていました。でもいまいちの出来で納得出来ないことも残りました。悔しいです (ーー;)

 

でもこの在宅で出来る仕事については、私が本当に望んでいた形態なので、「やっと風が吹いてきましたね」と言っていただいたんですが…。他の患者さんの参考になるなら、とパンフをお渡ししたんですが、「他の患者さん」というのが、「日常生活がまだ大変」という方がほとんどらしく、弟のレベルの状態なんだなあ、と思っています。「しんどいからもう二度と働くのは無理」と言って寝込んでいます。

 

そういう期待はしていません。でも家の中のことももちろん出来ないから、なにかが壊れるたびに私がその後始末やなにかをして、気が気ではない感じになっているのも事実ですが… (*-д-)-з 贅沢は言わないけど、もうちょっと家の中のことが出来るくらいになって欲しいなあ、とは思います。

 

 

 

 

自分は会社務めには向かない、と実際に20年以上勤めても(パートでしたが)それは痛感します。

 

そもそも高校時代につまづいているから、すぐに進学とか就職とかも考えられなくて、とになく体調を整えるのが第一でしたから…。で、結局初めて勤めた時には24、5歳になってましたから…。パニック発作が起きても大丈夫なように医院勤務を選んだのも、思えば単純な理由ですね (^_^;)  

 

いまはなんだか新卒信仰みたいなものがありますが、それってどうして?と、さっき調べてみたら、その理由のひとつに社風に染まりやすい、というのがありました。そういうのはやだ。花嫁があなたの(家の)色に染まります、って感じで白無垢着るのと同じみたいで気持ちワルイ (ーー;)

 

なーんか日本の発想とか価値観とか変だよね。個性なんて結構どうでもいいような気がします。だからみんな画一敵なリクルートスーツになるんだなあ。そうかあ、わかった気がする。

 

うまくどこかの正社員になっても、安定のかわりに自分らしくいられなかったら、私には意味がありません。自分らしくいられなければ生きているとも言えないので、もしも多くの人と同じように進学していても、やっぱりまわりと同じにはいかなかった気がするなあ。うん。私は「イエス」「ノー」がはっきりしていておあいそは出来ないから、そういうことを考えてもやっぱり会社勤めには向かない気がします。

 

 

 


二十歳前後の療養中にもしかしたらうすうす気付いていたのかもしれません。だから「手に職」って思ったのね。

 

あれから何十年。「手に職」の内容は違いますが、やっぱりその「スキル」というのが役に立ちそうな感じになってきました。このあいだ、保健師さんも「勿体ないですね。なんとか生かせませんかね」と言ってくださっていましたので、本当に上手くいけばいいなあ、と願っております。

 

 

 


祖父は職人でした。貧乏でしたが、祖父の作ったものは家の中にももちろんですが、公共の歴史ある建物の中にも残っていたりします。父はサラリーマンエンジニアでしたが、かつて勤務していた会社には父が携わっていた技術や機械がいまだに現役で残っています。結構海外にも行ってるはずです。戦後日本の経済発展を目立たず支えてきた町工場の技術ですよ (^_^)

 

「手に職」っていうのも誇りですよね (^_^) だから貧乏でも私にはそちらの方が肌に合うし、ふさわしいと感じています。無意識的な家族の影響ってすごいな。死後にも残る「何か」ものでなくても、記憶でも、生き方でも思想でも、そういうものが残せるって結構本望かもしれません (^_^)

 

 

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