昨日たまたま見つけたこういうテスト、まあ、お気軽なお遊びだしね、というのでやってみました。
「5分でできる 共感力診断テスト」
…で、結果はこういう感じ…。同意してくださった方もあったんですが、とてもおこがましいと自分では思います(^_^;)
でも、最近、泣くのは自分のことではなくて、たまたま通りすがった人の「心のSOS」というのに、すごく敏感になっていて、黙って通り過ぎるのが難しくなってきているのは確かです。
そうはいっても見ず知らずの人にできることなんてたいしてないんですが、仮にそれが少しでも知っている人ならば、一緒に泣いてから、それから最善の道を探す努力も一緒にできるなあ、とは思っています。
共感っていうのは理解への第一歩でもあるし、頭だけでの理解では理解しきれていない場合でも共感に至るともっと深い理解になるよなあ、と思います。
「哲学する赤ちゃん」で書かれていますが、2歳以下の赤ちゃんですら、こういう能力を持っていた(サイコパスは別ですが)ということは、共感という能力は人間が一人では生きていけない社会性の生き物だからではないかと思います。最終的には共感は愛に至るのかもしれませんね。
ともあれ、最近の私は自分のためには泣かなくなりました。泣いてる暇があればなんとかしようと考えるからですね。つくづく受け身のヒロイン願望はないみたい(^_^;)
自分自身がなんとかしようと努力する方が合っているし、事実なんとかできる能力はあるだろう、というそれなりの自信のようなものがあるからです。
自分じゃない人の場合の方が悩みますね。どこまで手を貸したりしてもいいのだろう?とか、邪魔にならない知識くらいは教えてあげても問題ないかな?とか。うん、私が知っていて、それがその人の役に立つようなことなら、いくらでも提供しちゃうな。
それと当事者だと身近すぎてわからないようなことでも、ちょっと距離を置くことでわかりやすいパターンがあるので、そういう視点からの提案とかもできますしね。
いまの私にできることっていうとその程度ではありますが、でも誰かのために何かができて、その人にいくらか楽な気持ちになってもらえるなら、自分も嬉しいなあ、と思います。
多分、共感だけじゃなくて、それに対して落ち着いて対策がたてられることも重要なのかもしれませんね。だてに長く生きてきて、自分なりに色々な経験をしていたわけじゃないかな。共感するだけだと一緒に混乱するだけになりかねないので、やはり落ち着いて具体策を検討できるっていうのは重要なポイントなのかもしれません。(カウンセラー向き??(^_^;))
「絵を描く力と、人への共感という能力は最後まで奪わないでくださいね」と真剣に神様にお願いしている私です。