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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

マッサージでやや浮上&「哲学する赤ちゃん」

すみません。仕事の途中ですが、今日はマッサージの日でしたので、ちょっと一服しています。

 

のちほど仕事に戻りますが、その前にちょこっと。

ただ、メールなどのお返事は遅くなるかもしれませんが、申し訳ありません。

 

 


気分の落ち込みはマッサージの先生と話してちょっといくらかましになったような気がします。私はもうちょっと家族のこともだけど、自分自身のことを考えて、やや優先していってもいいと思う、というご意見でした。で、そうかもしれないなあ…と思った次第。

 

マッサージのT先生は父の介護の時からお世話になっていて、元気な時の母のことも弟のこともご存知なので、前もっての説明不要でいいから助かります。「いや、しばらく前から落ち込んでいて…」というと「ああ、なるほど」というくらいでほぼ説明不要ですから… (^_^;) 

母が「殺してもらう」と言っていたことや、うつからの食欲不振になると、また全身状態の悪化や褥瘡の悪化の心配があることなどはあるんですが、母のことはまあ、特養にある程度任せておいてもいいので、そこはそれでいいのかもしれませんね…。

 

今は弟のことを考えると自分の状態が悪くなって、仮に入院したいと思っても無理かなあ?と考えてしまうのですが、そこはそれ、弟も本当に必要になれば自分のことは自分でなんとかするかもしれないなあ、と思い直しました。曲がりなりにも社会人をやっていて、一家の長をやってた経験もあるんだし。まあ、いざとなったらその時はその時、と思うことにしました。

 

…おかげさまで、ちょっとまた浮上、かな? (^_^;)

 


T先生も読書好きなので、結構そちら方面で話が合うのですが、マッサージや鍼灸東洋医学の部類なので、陰陽五行思想にも関わってくるから、そのあたりは面白いですね。背中の凝り具合で「睡眠不足ですか?」と言われましたが、そうかもしれません。いまごろちょっと眠いです (^_^;)

 

ちょっとだけ安心したんだろうか??訪問マッサージの先生や訪問看護師さんは、日頃外出がままならない、いろいろと不自由が多い患者さんの相手をされているだけに、自然とカウンセリングっぽいことになってきたりするんですが、そういうメンタル面のフォローも実はかなりありがたいと思っています。

 

家に閉じこもって、誰に相談すべきか?と悩んでいるよりも、話を聴いてもらうだけで、おのずと答えが出てくるので(これってカウンセリングの極意ですよね (^_^;))そのあたりはすごいなあ、と。

私も日頃からわりと答えは出しやすい方なんですが、家族が絡むと若干難しくなる傾向があって、そこにひとこともらえると、それだけでも助かるなあ、と実感しました。これは親しい友人とかでもいいんですよね。ひとりでは見つからない答えの糸口が見つかることってありがたいです (^_^;)

 

 


で、机の上に置いてあったら、Y先生に「面白そうですね」と言われた「哲学する赤ちゃん」無事に読了致しました。面白かったです (^_^)

 

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

哲学する赤ちゃん (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 

 

途中で自分の頭を整理したのがよかったみたい。記憶の洪水に流されることなく読み進むことが出来ました。

 

内容は子供をお持ちの方なら、きっとすごい実感を持って納得していただけると思います。私も自分の子供こそいないけど、甥と姪が生まれた時から一緒に生活していたから、実感としてよくわかります。

 

赤ちゃんって大人よりもよほど「人間として」よく出来ていて優れているのかもしれない、と思ってしまったです (^_^;)

 

とりわけ印象に残ったのは可塑性に優れるゆえに、幼いころに傷ついたことも癒せると言うか、ちゃんと自覚して成長の糧に換えていける点とか、生まれながらにして、すでに1、2歳の頃に「他人を傷つけてはいけない」ということをしっかりはっきりと知っていることなどですね。

 

これって大人でも出来ない人多いかもしれない。人間としてもっとも大切でもっとも優れた、他者への共感力をすでに持っているというのはどれだけ素晴らしいことなのか…。相手は赤ちゃんだけど、自然に頭が下がる思いです。

 

そういうふうに生まれながらに持っているものをももう一度大人は見直す必要があるのでは?

 

そして「子どもはわたしたちの未来です」という言葉はまぎれもない真実です。
人間の子どもの場合、この言葉は格別に深い意味をもちます。というのは、子どもは単に遺伝子を運ぶだけではないからです。わたしは何者なのか? という人間特有の問いは、わたしたちはどこから来てどこへ行くのか? という問い、つまり過去や未来と切り離しては考えられません。人間は変わる、ということはつまり、今だけを見ていても人間の本当の姿はわからないということなのです。どこまでも枝分かれして広がってゆく可能性の宇宙に、目を向けなければいけないのです。そのいちばん遠くの端に、わたしたちの子どもにそっくりの冒険家の姿が見えます。

 

求めるものは同じ結論に辿り着きます (^_^)

 

 

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