やはり看護師さんとのお話で、「昔お世話になった方にお礼の意味でプレゼントさせていただいた」と言ったら、「そういう昔のご縁を大事にされるんですね」と言っていただいたんですが、考えてみたら、これは私にとってはレアな「ご縁」のケースですよね。
なんたって、「もういらない」と思ったら、菩提寺や自分の同窓会との縁もばしっと断ち切ってしまうのが私ですしね…。「もう死んだことにして欲しい」というのも本音ではありますが。それくらいに私にとっては無意味なおつきあいでしたので…。
いまでもかろうじて年賀状のやりとりだけしている学生時代の友人なんてひとりしかいないよ。昔は時々スーパーなどで会ったけど、このごろ全然会わないし、年賀状だけですね〜 (ーー;)
でも、かつて、自分の人生のターニングポイントに出会って、たまたまでもお世話になったご恩を感じた人、「もしも、あの時あの人に出会わなければ現在の私は存在しない」という出会いは片手に余るほどですが、でも確かに存在するのですね。
その人はすごく何気なく言った言葉だったかもしれないし、ごく軽い意味の行為だったかもしれない。
でも、それがちょうどその時、私の心の欠けている部分にぴったりはまった、という、わりと奇跡的なタイミングが人生には何度かあるんですよ。あったんですよ。
そういう人に感謝してご恩を感じていたりすると、また不思議と何度でも「ご縁」というのが出来てきたりするわけです。距離や時間もあんまり関係ないですね。そういう不思議な「ご縁」。
私はそういうものはとても大切にします。大切にしているうちに30年とか40年とか、知らないあいだに経ってしまっているわけですね。
相手の方もふとしたタイミングで「そういえばどうしてるかな?」とか「そろそろ手紙を書こうかな」とか、「一度電話でこれを頼んでみようかな」「声をかけてみようかな」とか思って、連絡をくださったりします。
お互いに心の底に置いてあるけれども、ふとした時に思い出す相手、というのが「ご縁」なのかな?と思います。
まあ、私のようなタイプの人間にはずーっとリアルでべったりのおつきあいは続きませんし、むしろそういう心の底で「忘れ難いあの人」っていう存在の方が性に合っているかもしれませんね (^_^;)
「人生を変えた」本との出会いもそうですが、本との出会いの場合は私には自己啓発書ではなくて、フィクションの世界に存在します。
フィクションの中のキャラクターの生き様だったり、誰かの言葉だったり、あるいは世界観やキャラクターの絆そのものだったり、ですね。そういうものから受ける影響力が、やはり自分の心の欠けたピースにぴったっとはまった時に、人生を変えるような変化のスイッチが入るのです。
ですから、私は自己啓発書よりも優れたフィクションの方を高く評価しています。そういう作品に出会うためにはかなりの遍歴が必要かもしれませんが、でもその読書遍歴が決して無駄じゃなかったというほど、深く、魂が震えるほどの出会いに逢える時があります。それが自分のスイッチになるんですね。
そういう出会いの積み重ねが現在の私を構築してきました。
生きる上で数多くの出会いがありますが、個人的に「本物の出会い」だと思えるのはこういうパターンの出会いです。
もしかしたら、それもタイミングで私の何気ない言葉でも、どなたかの大切なタイミングに出会って、貴重な起爆スイッチを押す役割を果たしていることもあるかもしれません。そういうふうな機会に恵まれることも幸せだと思います (^_^)