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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

紙に刻まれる記憶と記録の意味について

クリスマスが過ぎたら、人の動きも変化したような気がするのは年末の大掃除とか、迎春準備とかのせいかなあ?

 

昨日はちょっと大人しくしておりました。頭痛と自律神経系統の不調とがありまして、メンタルの方は大丈夫なんですけど、頭痛の方は血圧に問題がないから、首から来ていると思います。頚頸椀症候群っぽい感じかもしれません。俯くと首の横と頭が痛かったりするので…。頭の重みが堪えております。

 

寒いけど、顔はのぼせるし、お腹の具合もいまいち変だし、こちらは自律神経の方ですね。室温18度でものぼせる時は全体的に調子が悪いです。まあ、これも仕方がありませんので、またもとに戻るのを待つしかないですね(ーー;)

 

 

そう言いつつも、自分の作業は着実にこなしていて、サイトの方は大晦日の深夜にアップロードすればOKというところまで出来ています。年賀状も元日には届くでしょうし…。

 

30日がマッサージの最終日ですが、おせち料理を作るわけでもないので、なにをするつもりもありません。弟がお雑煮を食べたいと言ってましたが、私がお餅を嫌いなので、これは却下です。毎年、もう嫌々ながらのお付き合いで元日に1個しか食べていませんでしたから、もう作らないわ(ーー;) 白味噌のお雑煮も味は嫌いじゃないけど、お餅が嫌いだから、他の和菓子のお餅も全部却下です(ーー;) お赤飯は食べるからもち米は嫌いじゃないのに、お餅になると嫌なんだよね~(*-д-)-з

 

 

自分の画集の方ですが、すでにタイトルとノンブルの文字入れに入っております。入稿の際にはスクリーンショットも必要になるらしいので、結構手間がかかりそうです。

 

見積もりも最終的には単価が(ページ数増えたし)4,000円になっちゃうなあ…。本当はもうちょっとかかるんですが、端数切り捨てですね。オールカラーの限界でもあります。一般的な出版の方をみても、今は初版でも数千部単位のことになっていると推測されます。売れ行きが良くて、重版になると、またもう数千部、かな?

 

初版のみで絶版になってしまうケースも多いでしょうし…。今は紙書籍と同時に電子出版もされるからなあ…。なんだか虚しいですね。

 

アドラー氏の「嫌われる勇気」もKindle本があったんですが、それでもやっぱり紙書籍を選んでしまう私。私って本当にデジタルデータを信用していないのかもしれないなあ、と自分でも思います。少なくとも保存用としては信用していませんね。だから何台ものHDDにバックアップしてもなお安心できないわけです。実際に過去の作品でデジタルの海に流れて消えたものもあるからなあ…。泣くに泣けないですね。まだ書籍なら、データが別に残っているから、再度ダウンロードすればいいのですが…(ーー;)

 

 

デジタルとネットの世界が便利になると、かえって虚しさも感じる機会が増えますね。web魚拓を取るか、個人的にコピーしておくか、スクリーンショットを取るかしか残せないケースも多いですよね。それが個人のブログだったりすると余計に盛衰が激しいので、ふと見たらもう閉鎖されていた、ということも少なからずありますし…。気軽に読めるだけに、それが虚しいと感じてしまう。

 

だから私はやっぱり紙媒体の記録を大事だと思ってしまっても無理ないと思います。その筆頭が本なわけですね。

 

紙も永遠じゃありませんが、でも残そうと思えば残るんだな。うちの母などは父からのラブレターをいまでも大事に箱にしまっています。もう60年以上前の手紙ですよ。昭和20年代だから、そんなにいい紙もなかったと思います。でも残ってるし。

 

私自身も友人とやりとりしていた手紙の束(なんていうボリュームじゃないなあ…(^_^;)ダンボールいくつだろう??でも処分したくないの)は今でもちゃんと保管しております。これも古いものですと40年近く昔のものもあります。読み返すといつでも当時に戻れる記録です。(かなり日記っぽい内容でもありますし)

 

いま、こうして書いているものが果たして40年、50年、60年後に残るだろうか?と思うと、やはり紙の記録の方をより重く信用したくなっても仕様がないと思うな(^_^;) 「読み継がれるべきもの」についてはよりそういうふうに思います。

 


今の作業が一段落したら、友人にゆっくりと手紙が書きたいと思います(^^)

 

 

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