いつものことながら、pinterrestのメモほどの人数の読者が増えると嬉しいんだけどなあ…、という贅沢な望みを抱いてしまう私です。寝て起きるとpinしていかれた方々の足跡が残るので、ちょっとすごいなああ、と… (^_^;)自分の作品はありませんが「綺麗なものを見る目」にはちょっと自信があります。ご利用の方はちょこっと覗いて行ってくださいね~ (^_^;)
昨日の夕方、母の友人のTさんから電話がありました。スーパーでうちのご近所さんたち、つまりお向かいとお隣のおばちゃんたちにばったり出会って立ち話して、Tさんがちょくちょく私と電話で話をするということで、母のこととか聞いてくださったようです。
おばちゃんたち、ごめん。こんなに近いけど、寒いからお互いに外に出ないし、出てもタイミングが合わないしで、立ち話をする時間もないんですよね、冬場は。極端な時は在宅介護中の別のおばちゃんとも電話で話してたしなあ…。道を渡るのに数歩しかないんですけど、どうしても冬場の引きこもり状態はそうなりますね (^_^;)
高齢者の場合は最低限の買物か通院くらいしか出来なくなってしまうし。通院もうっかりすれば風邪をもらう可能性もあるわけで、暖かくなれば自然と表で布団を干しながら会話するということにもなるんですけど…。そこいらはやっぱり人間も自然の一部かなあ、と思う次第です (^_^;)
Tさんにはいつも「あんたがよくもってる」と感心されてしまうんですが、それでふと思いました。
私の場合は自分のことだけ考えて暮らしているよりも、家族や身近な人たちのことを考えて動いている方が病気を忘れるからいいのかもしれないなあ、と。
双極性障害ですから、波があるのは仕方がないけど、それでも動かないといけない時は動くし、もうなるようになれ、と開き直りの心境で動く時もありますすが、そうすると意外に心配するような事態にはなりませんし、山をひとつづつ越えるたびになにかを得ている実感も達成感のようなものもありますし、徐々に自信もついてきますし。…まさしく認知行動療法 (^_^;) じーっと閉じこもっていたらこうはいかないと思うのよね。
同じ双極性障害の方が親しいお身内の方が本当にターミナルケアの状態で、遠からずこの世を去られることはわかっているし、その時に自分がどういう状態になってしまうのか(とても親しい人だけに)不安だというようなことをおっしゃっておられました。
そういえば、私は父が危篤になっても自分のことはカケラも考えた事がなかったなあ、と思い出しました。ただもうひたすらに父が穏やかに苦しまずに幸福に逝けることだけを願っていたから、自分のことなんて全然どうでもよかったんですね。本当に忘れてた。それで3日3晩付き添って手を握り続けて、結果的に椅子にも座れないくらいに足がむくんだんですが、それもたいしたことじゃなくて、とにかく父をこれ以上なく幸福な状態で看取ったから、もうそれまでのことが全部昇華された感じでした。
無事に葬儀も終えることが出来ましたし、葬儀には弟もちゃんと参列したから、(さすがに斎場までは行けなかったですが。パニックが起きたらしいので)もうそれで充分だったしなあ…。
ご先祖さんたちもちゃんとそれを見ていてくれたんじゃないかと思っています。結局私にはそういう底力があったのと、病気をセーブする力もあったんじゃないかと思っています。そのかわりにあとから「やれやれ」と思った時にどーっとくるけどね (^_^;)
自分の力でどうこうするのが難しい病気ではありますが、必死になるとコントロール可能になるのが、私の場合の火事場のなんとかみたいですね (^_^;)誰でも可能だとは思いませんが…。
でも今まさに逝こうとしている方は、その方自身が一番不安で苦痛で孤独で大変なんだから、たとえわずかでもそばにいてついていてあげたいと思ったんですよね。ただそれだけ。ずっと手を握り、語りかけを続ける静かなターミナルケアがどれほどの力を持つのか、父が示してくれました。
私はこれからも親しい人たちのそういう時に寄り添える人間でありたいと願っています。
…こういうことを思っていると、しばしば病気を忘れます (^_^;)