お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

心と身体のパーソナルスペース

役所に行っただけで早くも疲れている私… (ーー;)

 


昨夜はなんだか背中がひどくしんどくて、なかなか眠れませんでした。

 

多分、凝りだと思うんですが、ひどく凝ると胃腸の働きまで悪くなるのがわかりますしね。自分で届く範囲のツボ、肩のてっぺんとか前の方とか、腕とか鎖骨周辺とか、軽くマッサージしたり、体操したり、デパス飲んだりしているうちに、やっと血流がましになった感じで、背中の緊張がほこっとましになり、それでやっと眠れた次第です。

 

ああ、マッサージして欲しい。全身の。マッサージ師さんに触られるのは大歓迎 (^_^) 大体医療関係の人に触れられるのはメリットと安心感が大きいので、基本的に抵抗はありません。マッサージもその延長って感じですね。

 

 


でも、それ以外のことで誰かに触れられる、というのは基本的に私はかなり苦手なタイプだと思っています。

 

どちらかというと身体的パーソナルスペースよりも精神的パーソナルスペースの方がやや広いと思います。精神的パーソナルスペースの方は時としてネットの向こうまで拡がることがありますしね (^_^;)

 

 

 

中学生の頃、クラスの女の子同士で数人のグループがいくつか出来ていたりして、またあの年頃の女の子ってやたらとスキンシップしたがるというか、くっつきたがる妙な習性(?)がありまして… (^_^;)

 

休み時間になると、「一緒にトイレ行こう」と行って、別に行きたくない子でも腕を組んで連れ立ってトイレにいったりとか、なにかにつけてそういうことってありました。正直、私はそういうのがあまり好きではありませんでした。だって、休み時間もずっとくっついているなんてうっとおしいですよね。

 

まあ、別にそういうグループの子達が嫌いなわけではなかったし、仕様がないかあ…と思っておつきあいしてましたけど。高校進学してぴたっとやめました。

 

 

 

その後、別の高校に行ったグループの子から、手紙が来たことがあって、そこには「恭子の親友」という署名がありました。「親愛なる」というつもりだったのかもしれませんが。でも、ごめん、私は単なる「友達」で、「親友」とは思っていなかったのですね。私にとっての「親友」の定義は人生観や哲学的な課題も含めてそういうことも話せる相手だと思っていたので…。

 

残念ながら、そういう意味の「親友」は学生時代にはとうとう見つかりませんでした。
やっと見つけたのが20歳の時、趣味と創作を通しての友人でした。その友人とは遠距離恋愛みたいでしたね。だから私の精神的なパーソナルスペースはかなり拡がる気がします。彼女とは身体的スペースもかなり近かったな。それだけ信頼感があったから。しかもたまにしか会えませんしね。

 

離れていても気持ちが通うというか、それこそテレパシーみたいなこともあるんですよね。そういう体験があるからさ。

 

 

身体的パーソナルスペースに人を入れるのは基本的に苦手です。

 

家族ですら、お互いに相手が具合が悪い時とか、マッサージしあったりとか、そういう時でもないとくっつくことなんかないですし…。「ちょっと肩揉んで」「背中ぼきぼきってやって」というのが家族間のスキンシップの代表的なものだったり… (^_^;)

 

両親が介護が必要になってからはうんと身近なスキンシップが増えましたけど…。そういう機会と時間が得られたのは本当に幸せなことだったと思います (^_^)

 

 

いまは身体と心と両方のパーソナルスペースに入れても大丈夫なのは子供とお年寄りかなあ、と感じています。ほとんど無条件にOKっていう感じ。近づいても抱きついても嫌じゃないのって子供とお年寄りとこの世から旅立とうとしている人だけ。

 

それ以外の場合は性別も年齢も国籍ももろもろ問わずに、まず心の距離が近い人とだけは身体的パーソナルスペースを縮めても問題ありません。どうも私ってこのあたりの感覚はすごく日本人っぽいみたいですね。ある意味用心深いのかもしれません。メンタルの方は結構オープンなんだけど。

 

…まあ、それが私らしさといえるのかもしれませんね。

 

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明日は母が退院しますので、半日以上はばたばたしていると思います〜 (^_^;)

 

 

 

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