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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

健康と個人差

なんだか朝のうちは特にひどい体調の悪さが長引く感じになってきました。 朝起きる前から夜寝るまで、ずーっと母がうるさくて消耗するのかもしれません。 在宅介護って、介護する側の寿命と健康寿命がともに縮むような気がします。…しんどい…(ーー;)

 

その母ですが、現在、ケアマネさんが介護保険の区分変更の手続きをしてくださっているので、遠からず「要介護5」になると思います。 認知の程度は別として「自分でなにができるか」になるらしいから、正直、今の母は頭が多少クリアでも、食事も排泄も寝返りすらも自力では出来ませんし。脳梗塞で左半身不随、胃ろうだった父とあんまりかわりはないかなあ…。

 

で、母の年賀状ですが、だして欲しいと本人が言うので、去年も今年も私がかわりに出しました。まあ、元気な時からそういう感じではありましたが。 今年は「特養に入所すると思うけど、部屋も広くなると思うので、遊びに行ってやって欲しい」と私の名前で添え書きをしておきました。 お返しの分の賀状が返ってきたりするんですが、みなさん、ほとんど母の同級生だから同じ年なんですよね。それでも個人差はすごくあるなあ、と思います。

 

現在、東京在住の男性、Tさん。かなり以前から劇団に所属されていて、シニアの部であちこちのコマーシャルなどに出演されていました。たとえば住宅などのCMで一家団欒のシーンがあると、そのおじいちゃん役がTさんだったりするんですね(^_^;) 最近は私がテレビを見ないので、まだ劇団を続けていらっしゃるのかどうかわかりませんが、年賀状には「3年前から老年合唱団に入っています」とありました。「80の手習いでピアノを始めました」と初コンサートの写真入り。「時々ゴルフに行きます。趣味は仕事です」ともありました…。人生を謳歌されてますよね。

 

…結局、気力というか、気甲斐性というか、ずっと続くチャレンジ精神が大事なんだろうか?と考えてみる。この部分には認知症が入り込む隙間がなさそうに思えます。

 

うちの母は60歳代の10年間が最も元気でした。30代から「あんたは精神科に行くか、さもなくば出家でもした方がいい」とかかりつけの内科の先生に言われるほど、ずーっとグズグズ言い続けていました。もしかしたら、あれも双極性2型あたりの不調だったかもしれません。 で、更年期障害をやっと卒業した60歳から、ご近所のおばちゃんたちと毎朝コップを持って、藤森神社までの往復ウォーキングに励んでいました。参拝してお水をもらって、トータル45分くらいのコースです。ちょうど帰路に孫たちが登校するのと出会ったり、そういう感じでした。

 

60歳代に母は国内のあちこちを旅して回りました。父と二人で、私と二人で、親子3人で、友達グループ5人で、ご近所さんたちとグループで…、孫も一緒に…。10年で30回くらいは行ったと思います。北海道から沖縄まで。 70歳で乳がんになって、手術後、ホルモン療法をしたために、またしても体調不良になり、外出も出来なくなりました。2年も経たないうちに父が倒れたので、どーっと介護になだれ込み、以後は私も含めて本当にどこにも行けない状態になったままです。 母の手術前は市内でもあちこち出かけていたんですけどね…。なんだか遠い昔のことになってしまいました。

 

もともとうちの両親はあんまり身体が丈夫なタイプではなかったし、現役中もいろいろと病気はしたし、メンタル的にもタフとは言えないと思います。 そういうことの結果が寿命と現在の状態に現れているのかなあ?…だとしたら、やっぱりどうしようもない要素は多々ありますね。仕様がないとしか言えないなあ…(ーー;)

 

…まあ、両親のいままでを見ていると私もそんなに元気で長生きが可能だとは思えないので、せめて「死ぬまで絵を描き続けたい」ということだけは完遂したいと願っております。唯一無二の望みかもしれません(^_^;)

 

 

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