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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

五感の記憶

母はいまごろ寝ています。昨夜は午前0時前まで起きていたのを知っています。で、ずっと私を呼んでいたんですが、私も一旦横になると、もう疲労倦怠感が半端なく強くて起きられないんですよね (ーー;) とうとう2階で寝ていた弟が気付いて降りてきてくれたようで、ほっとしましたが。お茶がこぼれたか、それくらいの些細なことだったようです。…疲れるわ、ホンマに〜 (*-д-)-з 母のことでは血液検査の結果に「なんだろう?これは」という数値があったため、お知り合いのお医者様にいろいろ教えていただくことにもなりましたし。で、訪問看護師さんにかかりつけの先生に数値の謎(?)を伝えて欲しいとお願いしておいた所、「先生から直接説明します、と言われてましたよ」ということでした。確か明日が往診日だったような…。いずれにしても20年くらいお世話になっているかかりつけの先生から看ると、一般的なものとはまたちょっと違った判断になるのかもしれません。まあ、このペースですと慌ててどうこうする必要がないと思われているのかなあ?いままでのデータが残っているのかもしれませんが、なんともわかりません。 まあ、仕方がないので取りあえず明日まで待って、往診でいらしたらいろいろ聞いてみたいと思っております。 あと、母の場合、薬を飲んで、その効果が現れる以前に「飲んだから」という安心感のようなもので「ましになった」とか「治った」とか言っているようにも思えます。こういうのがいかにも依存しやすい傾向だなあ、と私は思っています。ホントに生涯薬の管理が必要なのは確かですね… (ーー;) 昨日、お邪魔しました「自由人のカルマ・ヨガノート」の中に大変興味深い記事がありました。「内に写し込まれる『今』」 私は旅に出る時でもカメラを持ち歩かない人間なんですね。写真が嫌いなわけではなくて、見るのは好きですし、地元の絵はがきなど買い求めたりもします。が、自分で撮ることはまずないのですね。昔でしたらフィルムカメラがありますし、一応持って行くんですが、1本全部撮影したことはなかったり…。それも人間はまず撮りません。 旅先でなにをしているのかというと五感全部でその場所を味わっています。むろん月日が経てばすべての風景を思いだせなくなりますが、とても気に入った場所は自分を取り巻く空気感や温度、天候や空の色、香りも生活音などもすべて含めて、あたかも今現在その場所にいるように思いだせたりするわけですね。そういう記憶がいくつも出来ると、随分満たされた旅の記憶として残ります。 これって幼い頃の記憶に似ている気がします。幼児にとっては毎日が冒険、毎日が非日常みたいなものですし、当時の記憶はやっぱり五感全部で残っていたりするわけです。私などはもっとも古い記憶は生後7ヶ月くらいのものがありますもの。だから旅先での五感は幼児期のそれに戻っているみたいです。この類いの記憶は限りなく愛おしくなるものなので、旅の記憶もすでにそうなりかけていますね。 それと「そうか、普通は講演会などではメモを取るものなのか」というのも実は初めて知りました (^_^;)自分がやらないことだから、不思議な感じが残ります。話し言葉に対する感受性も旅の感受性に近いような気がします。本当に心から琴線に触れたものしか残らないというか、そういう感じ。 別に記憶力がいいわけでもない私ですが、メモを取るのは、それこそパスワードとか、無味乾燥な数字とかで、あとはほとんどないですね。カレンダーに丸するくらいかも。手帳は持っていますが、クリニックの受診日とか、作品が完成した日くらいしか書いていなしなあ…。 まあ、勤めている頃はほとんどデスクワークでしたし、やっぱりあんまり書くことなかったなあ…。メモに縛られることなく、っていうのはかなり自由な気持になります。 今もパソコンの操作メモと解像度のメモくらいしか目の前にないですね〜。
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