こういうニュースを見ると、日本ってまだまだ平和だという意識が強いんだなあ、と思うと同時に、私って実は意外にアニメを観てないなあ、という事実にも気付く。
http://news.biglobe.ne.jp/trend/0803/gad_130803_3261022628.html
宮崎アニメでも観た作品は限られている。ナウシカとトトロ、魔女の宅急便、もののけ姫、千と千尋の神隠し、ハウルの動く城くらいのものか?テレビで放送されている作品もあんまり見ていない。最近の作品で、ネットの動画で見たのも夏目友人帳とTIGER&BUNNY、RDGくらいかも。なんか昔から情熱がないんだよね…。毎週放送されるアニメなりドラマなりをきちんと見るには半端じゃない気力が必要だと、いまでは嫌というほどわかるし (ーー;) その気力がないからなあ。
昨日ツイッターでもつぶやいていたけど、シビアな現実というのは大体こういうものだ。
http://rebornflat.blogspot.jp/2013/03/blog-post_16.html
当事者には出家得度よりもずっと難しいと思う。
私がスピリチュアル云々とよく言っているのは、納得も理解も出来るスピリチュアルの法則は、基本、精神の病を持たない人たちのためのもののような気がするから…。肉体的な病気の場合には実によくわかる説明がなされているし、なるほど、とも思うんだけど、それが精神疾患になるともやもやした煙のようなものになってしまう。結局、解釈する人たちが精神疾患のことをよくわからないからだと思うんだけれども…。(ひどい場合は頭から相手にしていない悪質なケースもある)
まあ、私だって自分が罹患していない統合失調症の人の実感的なものはやっぱりわからないし。ある程度想像は出来てもそれが正しいとは限らないし。
個人的には、たとえばガンで「余命あと何ヶ月くらいです」という宣告の方が納得出来るし、受け入れやすい。(もともと命への執着があんまりないから)
だからむしろ双極性Ⅱ型障害の方が蛇の生殺しみたいだなあ、と感じていたりする。この病気になってから、いや、診断前の鬱の時点から、介護に関わるあたりから、すでにもう10年以上になるけれど、「普通の人が普通に出来ること」をどれだけたくさん諦めてきたかわからない。ちょうどPCでお絵描き、というものを得たのはその予感が強く働いていたからかもしれない。だからそのおかげでいま程度の喪失感ですんでいるのかもしれないけれど。
出来ないことが圧倒的に増えると同時に、人とはたくさん別れてきたなあ、と思う。出会う人も多かったけれども。
喜びも哀しみも苦痛も、すべてが魂の修業だとするなら、この病気によって得るものの意義はなんだろう?結局は自分が寿命が尽きるまで生きてそれを知らなければいけないのかもしれない。不自由さを抱えて、それでもできることはなんだろうか?哲学的な答もまだでない。
現在お医者さんのお知り合いは結構多いし、時にはアドバイスもいただいているけれど(いつも本当にどうもありがとうございます)、プラススピリチュアルな話が聞きたいなあ、と時々強く思う。宗教でもない。うん、本当に宇宙の摂理なんだよね〜。精神プラス魂の治療という分野がそろそろ出てこないかなあ、と願っている。