今、最寄りのファミマに行ってきたら、店長さんから「実は今月一杯でやめるんです」と言われて、すごくショック受けてます。じっくり聞いてみると、その後2週間くらい工事して、別の人が経営に入るとかで、ファミマはどうか不明ですが、コンビニ自体は続くようだとほっとしたものの…。工事期間中の買い物はどうしようとすでに悩んでいます。
パンとかジュースとかアイスとかは生鮮食料品なので、通販で、といっても限界があるしなあ…。はあ、頭が痛いです。もっと便利な所に引っ越ししたいなあ…。通院と買い物に取りあえず困らないところ。
ファミマも結構流行っているので、店長さんの個人的事情があるのだと思いますが、なにも店がないこの近辺のお年寄りの頼りの場所になっているので、なんとかなって欲しいなあ、とは切に願います。
都会の買い物難民のためにいつも売りにこられる八百屋さんも、あちこちで許可を取って苦労されてるようですが、ほんの2時間くらいでも、車が邪魔だと怒る人がいて、そのたびに店を出す場所を変えざるをえないということになります。週に2日、2時間ずつくらいご近所のお年寄りのために提供したってバチは当らないと思うのですが。そこまで思いやっているとは思えない、自分さえよければ、という人が少なからず存在して、ああ、これは福祉の充実なんてなかなかかなわないわけだわ、とため息が出てしまいます… (ーー;)
そういえば昨日は受診日でした。いろいろ相談の結果、私の場合はデパスを1錠減らすことになりました。まあ、これはたいした影響はないと思います。パニック障害がいまだに消えていない弟は認知行動療法のことを言われてますが、そういえば私は言われたことないなあ…、認知行動療法。私の場合、自分であれこれ勝手に考えてなんとかすると思われているのかもしれませんが… (^_^;)
実際にパニック発作も片頭痛もパキシルのおかげもあってかいつのまにか治ったし。まあ、主に家族の病気や介護やその他もろもろの理由で「それどころじゃない」状況にどんどん追いやられていたし、そのうちに治ってしまったという怪我の功名みたいな… (^_^;)
10回以上も救急車に付き添いで乗れば、自分の病気は後回しになるのかもしれません。まあ、その後反動でどーっと堪えることも多いですが。
昨夜と一昨夜に読んでた本。
結構専門的な哲学の話が出てきますが、わからない単語は読み流しても、やがてなんとなくわかってくる時が来るから不思議です。
「症状というのはいずれにしても有益な生体反応です。病気に打ち勝とうとして症状というものが出ているのだと私は思っています。だから症状だけに注目して、それをやみくもに消そうとするのはよくないのです。クーンの意見では、鬱病という、僕らが臨床的に見ている病像は、気分の落ち込みも、いろいろな自律神経系の身体症状も含めて、すべてその背後にある何か目に見えない病理に対して、患者が心身両面で抵抗している、その生体反応ではなかろうかというわけです。この目に見えない病理こそ、鬱病と言われる病気の本態なので、臨床的な鬱病の症状は、精神症状も身体症状も含めて、そこから派生してきた防御反応だというわけです。」
こういう言葉に勇気をもらい、励まされる患者の私がいたりして… (^_^;)
『あいだ』という観念もとても興味深いです。もっと勉強して、時間を置いてから何度も再読してみたい本ですね。
…って、いうようなささやかな感想のようなことも、やはり先生ご本人には伝える勇気がないので、ここでまたひっそりとメモっておく次第です (^_^;)
(facebookの友人カテゴリに入れていただいているのがいまだ信じられなかったり…)