月曜日、クリニックの受診日で、加えて郵便局に行ったり、薬局に行ったりばたばたと忙しく過ごしておりました。
夜になって横になってから、送っていただいたケア関係の本を読んでまして、そろそろ寝ようかなあ…、と思ったら、頭が妙にすっきりしているのに気が付きました。眠くない。ひょっとしたら躁転したかもしれないなあ。
うわ、ラッキー! と夜中に起き出しまして、うつの状態でなかなか進まなかった描きかけの絵を完成させるべく集中しておりました。
で、めでたく作品も完成しましたが、折しも4/17。実は私のサイトの開設記念日でして、今年はサイトのリニューアルで疲労困憊したので、なにも出来ないと諦めていたんですが、急遽、壁紙なども作成。
めでたく開設記念企画も始めることが出来ました (^_^;)
思い掛けない軽躁の贈り物。ただし、軽躁の時はすごく焦燥感が強くなるのか、邪魔が入ったり追われたりすると常以上にイライラが強くなるのが閉口しましたが… (ーー;)
ともあれサイトも14年目に入りました。生まれた子供が中二になる歳月です。そう換算すると結構すごいかもしれません。今後もやめるつもりはまったくないので、下手すると死ぬまで続けているかもしれません。まあ、それが始めた当初よりの目標でしたので、ほそぼそと気長にのんびり続けていきたいと思っております (^_^;)
どうぞこれからもよろしくお願い致します m(_ _)m
もしかしたら躁転のきっかけになったのか?とも思われる本。
認知症などのケアにまつわる内容なんですが、なんだか私は不思議に安心したんですよね。
…というか、歳を取って認知症になることも、別の病気になることも、いずれも人という生き物の有り様としてすごく自然なことだというのが納得出来たので…。
生まれてきた限り、人間は100%死にます。不慮の事故や事件に巻き込まれて亡くなる方は本当にお気の毒で哀しいことですが、そうではなくて「病気=肉体的な衰え」で徐々に死に向かうというのはごくごく自然な生命としての移ろいじゃないかと思ったり…。
このごろよく自分が感じるんですが、自分の肉体って、結構正直に状態を伝えてくれているものなんですよね。たとえば脂っこいものなどで胃もたれしなりすると、もう自分の胃には負担なんだ、やめよう、と思いますし。時々無性に甘いものが食べたい、とか豆が食べたいとかいう時は、やはり肉体的にそれを欲しているのを脳がキャッチしてるんですね。
そういう身体の声をよく聴いて、忠実に行動しようと心がけていたら、なんだかいつのまにかほとんどベジタリアンみたいになってしまいましたが (^_^;) 3〜6ヶ月に一度血液検査を受けているので、栄養状態や貧血などの問題点もよくわかりますし。貧血もないし、電解質のバランスもいいし、脂質代謝も順調ですし、私には今の食生活が合っているんだと思います。まあ、コンビニでお弁当とか探しても食べられるものがほとんどない、というのが不便かも… (ーー;)
カロリーとかもあんまり気にしてませんね。太ろうが痩せようが別にどうでもいいと思っています。かつて痩せてた時もあるけど、体力なくて風邪ばかりひいていたので、スタイルがよくても別にたいして重要なことでもないですし…。
ある意味すごく自然体な心境だったり…。どうせおばあちゃんになったら自然と痩せるしね。
私がエネルギーを使いたいのはやはり創作の方なんですね。だからそれ以外はほとんど個人的に「どうでもいいこと」に振り分けられつつあります。
認知症のお年寄りはどうしてこんなに愛おしい存在なのかと思います。父の時にお世話になったケアマネさんは精神科に長く看護師として勤めて、そこで出会った患者さんたちの中で、「お年寄りってどうしてこんなに可愛らしいんだろう」としみじみ思い、お年寄りのために仕事をしたい、とケアマネになったんだそうですが、なんとなく私もそういう気持ちがわかりそうな感じです。
もちろん世話をするのは大変以外のなにものでもないでしょうが…。
うちに出入りしてくださった介護関係の方々を見ていると、嫌でやっている人などいないとよくわかります。話のはしばしや患者さんへのまなざしからして滲み出るものがあるんですね。そういう方々からの感化は大きいのかもしれません。
うちの父も脳梗塞発病の1年くらい前から、時々幻覚を見ていたようです。私と母が寝ているあいだにおかっぱの女の子がいる、とか、玄関に子供がたくさん来ている、とか。(なぜか子供が多いな)当時の私は幻覚なのか、それとも霊能力のようなものだろうか??とか考えていたものでした。
詳しい方、何人かにお聞きしたんですが、それはレビー小体形認知症だったのでは?との意見が多かったですし、そうかもしれないと思います。もしも脳梗塞で倒れなければ、認知症まっしぐらだったのかなあ?とも思いました。
が、実は父の見る幻覚を楽しんでいた私がいたんですよね。「おかっぱの女の子って、もしかしたらザシキワラシ?だったらいいなあ…」とか「子供がたくさん来てくれる家って縁起がいいやんか」とか…。
…どうも私は認知症の人のファンタジー世界にすごく共鳴しやすい部分があるようです (^_^;) つい、一緒に楽しんでしまう。もちろん怖い幻覚でないかぎり、ですが。
まあね、私の頭の中にも日常的に何人ものキャラクターが生きているわけでして、だからこそ「創作」というものが出来ているわけですが。お年寄りの体験談は本当に生きた生活史でもありますし、実際にすごく面白いと思う。
ケアというのは「してあげている」のと同時に「与えてもらっているもの」が実はすごく大きいと思います。それに気付くことが出来て、しっかりと受けとめることが出来たなら、もしかしたらそれはケアする側のその後の生涯の財産になるものなのかもしれません。