あまりに作業がはかどらないので、昨夜はいっそまた徹夜しようかな、と思ったんですが、メンタルの部分はともかく、身体の方がついてきてくれませんでした(>_<) 今日はあんまり気分がよくなかったりして… (ーー;)
いくらかペースダウンしても仕様がないので、地道に続けていこうと思います。
「生きる技法」を読んでいて思ったのですが、人間のコンプレックスの根っこを作るのはやっぱり支配的な親なんじゃないかなあ…。世間体とか一般常識とか、外聞とか、そういうことを第一に考えて、というのは実は子供への愛情を第一に育ててるんじゃないんだよねえ…。極論だけど、精神的虐待にもなりかねないような…。
いくら頑張ってそれなりの成果をあげても、それが当然、と言われて褒められもせず、だったら自信も持てないだろうし…。身近にそういう部分をフォローしてくれる人がいればまた違うかもしれませんが。(たとえば祖父母とかね)
そういう人が大人になると、結局はそういう親と断絶をしないと本来の自分を取り戻せないし、またなかなか自分自身を好きになれない。…ということは自分以外の人間を上手く愛することが難しいというのもあるのかもしれないなあ、と思います。
コンプレックスの種なんて、誰でも一杯持っていると思います。
私なんかだと致命的な運動神経のなさが第一かもしれません。小学5,6年のことだったと思うのですが、50m走がなんと19秒だか20秒だかの信じられない記録を作りまして… (^_^;) いや、当人は極めて真面目に走ってるんですが、どうしても足が上手く動かなくて…。
他のみんなの倍くらいのタイムを見て、まあ、落ち込みはしましたが、ここで結構早く開き直りました。「得意じゃない分野での無駄な努力はやめよう」その分、得意分野で頑張ればいいか、という開き直りです。
で、それ以降の運動会だとか体育祭だとかはあらゆる手段を使って走らなくてもいいように画策してました。まあ、運動神経が駄目なのは家系のようなものだから親もなんにも言いませんし。
両親には「勉強しなさい」という言葉を言われたことが一度もありません。私が考えて決めた進路のことにアドバイスはくれても、反対するようなこともまったくありませんでした。放任ではないけれど、信頼して自主性に任されていた感じですね。
挫折や失敗はいろいろあったけど、自分が選択した結果だから、すべて納得出来たし、受け入れて成長の糧にすることも出来ましたし。
だから不思議なことですが、病気とか障害すらも実はコンプレックスではないんですよね。「あー、もっと働きたい!」「気軽に遊びに行けるようになりたい」「他人のために行動したい!」とかいろいろ思いますが、それらはあくまでも願望でして、コンプレックスではない(そういう劣等感を抱いたって仕方がないから)だからいつかはかなうかもしれないことだと思っています。かなえたいです。
コンプレックスに悲嘆に暮れているよりも、そのエネルギーをクリエイティブな方向に使った方が有意義だよなあ、と、まあ、今は軽躁の時期だから、そう思って頑張ります。
鬱になったら、また全力で嘆くかもしれませんが… (^_^;)