マッサージの日だったり、100円ショップに買い物に行ったりしていたので、なんとなく時間が早く経つ気がする日です。
100円ショップには主に食料品を買いに行ったのですが、一番欲しかったのはアレです。キッチンなどで役に立つ、鍋敷きや鍋掴みやコースターにもなったりするシリコンです。伯父が飲み物の蓋を開けるのに苦労していたので、取りあえず輪ゴムを蓋に巻いて開ければいい、と教えてあげたのですが、もっといいのがあるじゃないか、とシリコンを思い出した次第。
ついでにうちの分も居間と台所用と、計3枚買いまして、伯父には明日にでも母が届けると言っております。ちょっとしたビンの蓋を開けるのに便利なんだなあ。特に歳を取るとひねる力が落ちるらしいので…。しかしシリコンってかなりあちこちで役立ってますね〜 (^_^;)
午後はぼちぼちお絵描きをしながら、とりとめなく考え事などしています。
主にスピリチュアルなテーマについて。スピリチュアルな世界では去年12月21日はアセンションするとかどうとかいう日だったのですよね。
で、そういう関心が強いブログなどではいろいろと書かれていたりするわけです。すごく極端にはしょりますが、自分が心地よいと感じない事象についてはシンクロするな、とか、そこに心を留めるな、とか、物事にジャッジするな、とか、そういうふうなことです。それによって望ましい次元の理想的な世界に移行出来るとか、そういうふうな内容ですね。
私はこの考え方については以前から懐疑的でした。世の中に数多あふれる不幸に眼を向けない、心を寄せない、流されないーーーー。これって確かに見たり聞いたりしなければ心が平安でいられますよね。でもこれってものすごく利己的で、自分さえ幸せならば他の人がどういう方向を選択したってかまわない、ということとどこが違うんでしょうか?
「愛」の反対は「無関心」です。自分たちさえよければ、他の人はどうなろうとかまわないというのと根本的には同じだとしか思えないなあ。宇宙のどこかの星が故郷だというのも、ひっくりかえせば選民意識と同じではないのかな、と思います。
普通の人間よりも高位の魂の持ち主と思われるあらゆる宗教の開祖たち、イエス・キリストやブッダや、宗教でなくても現代のガンジーとかマザー・テレサなどもそういうふうな考え方はしていないと思います。
スピリチュアルな思考も理想も、この現実世界にしっかりと足をつけて生かしていかないときっと意味がないのですね。
理想郷に自分たちだけが移り住むのではなくて、今のこの世界を少しでもその理想に近づけるように努力していかないと駄目なんだな。
現実の艱難辛苦やあらゆる不幸から眼を逸らさずにいるのは大変なことですが、夢見る前に見つめて理解する、共感する姿勢がとても大事だと思っております。
アセンション騒ぎのおかげで、そういう真実がくっきり見えるようになったのはありがたいことなのかもしれませんね (^_^;)