問題の12月21日を越えまして、20、21となにかずっとおかしな状態だった私の脳も、だいたい平常に戻ったように思えます。この2日感の混乱はなんだったんでしょうねえ、ホントに。
「アセンションっていうのはこういう感じ???」という経験はちょこっと前に体験してしまったので、個人的に目立った変化はありませんね、いまのところは…。
ただ私の中の世界観のようなものはまだまだ変化している最中のようですが。
とりあえず世界が終わらないので、現実について考える。
従姉が担当医から説明されたところでは、伯父の首の手術は4~5時間はかかるようで、術後10日くらいしたらリハビリ用の病院に移ってリハビリすることになるようです。その予定期間が1年半くらいかかるとか…。そんなにかかるのなら伯父も91〜2歳とかになってしまいます (ーー;)
どれくらい回復出来るかはわかりませんが、よくて現状維持かもしれないし、多少なり退院の目処がついてきたところで、介護が必要になるのは必至ですね。それも在宅の場合は従姉一人では到底無理だし、かといって我々が手伝えるほど元気でもないので、否応なく介護保険のお世話になることになるでしょう。
手術の日にケアマネさんの名刺を従姉に渡しておくかな。まあ、かかりつけの先生と相談が先かな。
リハビリ病院にしても、うちは某J病院でひどい目に遭ったので、慎重に選べるといいのですが、家族が通い易いというと選択範囲も限られてきますよね~。
できれば本当に自宅で家族に看取られての最期というのが一番いいと思うけど、実はそれは相当条件が揃わなければ難しいことですしね…。介護の悩みは本当に尽きないな。
まあ、伯父自身は手術すればもとの健康体に近く戻れると思っているようで、そう信じているうちは気力になるのかな、とも思いますが…。
昨夜本を読んでいたら、本当に諸行無常なはるかな未来のヴィジョンが見えてしまったので(岩と砂しかない地球の姿。もちろん生命は存在していない)改めて生命の意味とか、争いの無意味さとか、エネルギー問題とか、そういうものを考えさせられてしまいそうです (ーー;)
いずれはそういう未来に至るとしても、その時期を早めるか遅らせるか、それまでの時間をどういうものにするかは人間の意志に委ねられているんですね、やはり。
人はただ多くのものを所有することだけに満足感や幸福感を得づらくなっている、というのはほぼ確信にかわりつつあります。
ただモノを作って買って所有して、それが幸せっていうのとは違うんだよねえ…。デパートに行っても欲しいと思えるようなものがない(デパ地下くらいしか)とか、かなり以前から若い世代の人たちにもそういう傾向が強くなってきていますし…。
いまは不景気だとはいうけれど、消費を促し、生産を促し、派手に広告し…というのとはもう違うなあ、と思っています。
仮に景気が良くなっても、みんなが再度買い物に走るかというと、そうじゃないなあ、きっと。どうしても必要なものは買うだろうけど、その他の余計なものはいらなくなりつつあるからなあ。
でも高度な技術とかの開発と保持は大切にして欲しいですし…。あるいは技術そのものの価値がもっと上昇するのかもしれませんが。
雇用問題にしろエネルギー問題にしろ、こういう意識の変化を考えなくてはいけない時代になったのかもしれません。もちろんまだ開発途上国などは別ですが、日本に限って言えばね。なんだかいままでとはかなり違った経済的な展開とか方法が必要とされているのだと思います。
…これ以上のことは素人にはわかりませんので、専門家の方々よろしくお願い致します m(_ _)m