きーもーちーが、わーるーい〜 (ーー;)
このところどうやら過眠傾向にあるようで、毎朝無理をして起きたら、非常に気分がよろしくありません。
でも明日も月曜日も早めに起きないと駄目なので、さらに早めに目覚ましをセットしておきます。で、出かけるまでに少しくらいはましになるかなあ、と… (ーー;)
なんだか今月後半は買い物だの通院だの雑用だの仕事だの、複数のあれこれが立て込んでいて、落ち着かないことこのうえないです。
きっと外付けHDDの増設作業をするのだって、今年中は無理だろうな…。年末年始くらい病院と縁を切りたいのに、今年は無理なようですし… (ーー;)
で、今朝方はお布団の中でうだうだしながら考えていました。「心はどこにあるのだろうか?」ということを…。
うちの父などは脳梗塞でもかなり重症の部類で、CTを見ても脳の右半分は真っ白でした。当然左半身は付随で、もしかしたら左目も見えていなかったかもしれません。
要介護5,身体障害1級の認定を受けていました。さらに嚥下が無理だったので、胃婁(うちではPEGちゃん、と呼んでいましたが (^_^;))でなければ栄養が取れなかったし…。頻繁な痰吸引が必要でした。24時間問わずに。
それでも意識はしっかりしていて、自分の身の回りのことや来てくださる人たちのことなどは非常によくわかっていました。
疲れて母が昼寝をしていたら、「ちょっと寝かせてあげてね」というと静かに待っていましたし、夕方、食事も終わって、我々がやれやれ、と一息ついて、おやすみ、と父の部屋の照明を消したあと、父の寝息が聴こえるから安心したりしていました。
…が、実は父は寝ていなかったんですよね〜。暗い部屋にそーっと洗濯物を取りにいくと、父がしっかりと眼をあけていて驚きました。我々を休ませようとする気遣いが出来る人だったんです。
それだけに環境の変化にも敏感でした。大きな病院のICUやHCUですと、それなりに眼や手があるから、我々も父自身も安心が出来たのですが、一般病棟だとそうはいきません。絶対に看護師さんの人数が少なくて手は足りないし。
具合が悪くてもすぐには来てもらえない、というので父が泣いていたことがありました。親が死んでも声を出して泣かなかった人です。これは並大抵ではない、家で介護する、とその時に母も私も決意したのですね。
実際にいくつかの病院を見学したんですが、そこはさらに眼も手も足らなかったので。
で、在宅介護です。家族は大変だったけど、多くの人に手助けしてもらえましたし、なによりも父が精神的に孤立しなかったことが大きいと思いました。
我々はなんでも父に話しかけていましたし、ずっと家族の一員でいられたことで、なんというか、父は本当に終わりの一息まで、人としての尊厳を保っていられたのでは…と思います。
脳の半分が機能しなくても、人が人らしくいられるという見本を父が見せてくれました。だから余計に「心ってどこにあるんだろう?」と思うんですね。
人が人らしくいられる、ということにはやはり自分以外の誰かとの関わりが大きな意義を持って働いているのかもしれません。