お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

切磋琢磨の仲間たち

さて、何を書くべきか、頭が痛いなあ。今日はなんにもテーマを考えていませんでした。

母の内科の受診日で、またまた午前3時か4時ごろには起き出してごそごそしていたのは知っていますが。

なんでそんなに早いのかというと、なぜか緊張するからだそうです。月に二度も行ってるところなのに…。まあ、伯父も似たようなことを言っていますので、そういうものなのかもしれません。待合室を談話室のように考えているお年寄りもいるのにね (^_^;)

で、ふとさっきツイッターに書いた話を思い出したので、その続きでも書こうかな、と思います。

現在はFacebookをメモがわりにしか使っていない私ですが、旧知の漫画友達がもしかしたらやってないかなあ、と思って検索してみました。

今のところは感想を書いている人の文章くらいしか見つかりませんでした。残念 (ーー;)

10代の後半から、アマチュアの漫画グループ(いわゆる漫研)に所属していまして、そこで同様の漫画家の卵たちと、厳しく楽しくやってたんですよね〜 (^_^;) 

なにしろ昔のことですし、コピー機なども普及していなくて、ちゃんとした会社にあるものも、現在とは比較にならない品質の機械でした。

ただ、わりと手軽な湿式コピー機はありまして、それで毎月会長さんがせっせとコピーして、折ってホチキスで綴じて…、という作業をせっせとやってくださいまして、多い時には100ページを越えた冊子になったのに、今でも凄いなあ、と感謝の念が湧きますね (^_^;)

ただし、そのコピー機、トレーシングペーパーに描いた原稿しか読み取ってくれなくて、ホワイトで修正がまったく不可能。ただし薄墨は使用可、という厳しい条件がありました。

トレぺ…。極薄なんですよ…。修正が駄目なんですよ。厳しいですよ。

それでもせっせとこの時期に描いたおかげで、丁寧に描くことと、修正は出来るだけしないですむように努力することはいい勉強になりました。

そういうのも懐かしいですね〜。

で、結果的にプロになった人も結構いましたが、そういう人たちも引退しちゃったり、雑誌などの現場を離れてしまうと近況がわからなくなっています。どんなに年月が過ぎても、絵柄を見れば「あっ、○○さんだ!」とすぐにわかると思うのですが。

これだけネットで便利な時代になっても向こうがネットやっててくれないと、挨拶のしようもないですし、さらに結婚でもして、姓が変わっていたらもう探しようがないなあ… (*-д-)-з

なんだかちょっと(かなり)寂しいです。

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