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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

祖母のことなど

今朝はやはり起きた時の気分が最悪で、布団の上にじっと座ったまま30分くらい動くことが出来ませんでした。かなり落ちている時期なんだなあ、と思います。

まだ瞼がはっきり完全に開いていないみたいですし…。

以前はこれって薬の副作用かと思っていたけれど、どうやらそうじゃなくて体調の悪い時の症状の一つみたいですね。本人はちゃんと目を開けているつもりでも、なんとなく「暗いなあ…」と感じる分、開いていないみたいです (ーー;)

ともあれ、今朝はマッサージをしてもらって、痛みがちな背中がほかほか暖かく感じますし、これがずっと続けばいいのになあ、と願ってしまいますね。無理なんだけど…。

一昨夜と昨夜、寝る前に「夏目友人帳」を4巻まで読んで、ほっこりした気持ちになったついでに、なんだか祖母のことを思い出してしまいました。

父方の祖母は明治30年滋賀県生まれ。三姉妹の真ん中です。

母親が早くに亡くなって、父親が後添いを迎えるのに、女の子3人は大変だろう、というので、7,8歳で奉公に出されたそうです。だから小学校も1,2年しか行っていません。

奉公と言っても子供ですし、やはり子守りくらいしか出来なかったと思うのですが、救いはそこの女中さんが優しい人だったらしく、「まだ小さいのに可哀想に」と、一緒にお風呂に入れてくれて、さらになにかと気を配ってくれたことですね。

そういう話を聞いていた母は「優しくしてあげないと」と思って結婚したそうです。

現実には祖母はわりと気が強い面があったりとか(これ、私も似てるかもしれない)で、それなりに嫁姑の確執はあったようです。

が、晩年には祖母にはただ一人の息子(長男は戦死しているので)の嫁だったこともあって、身体が弱ってからは、献身的に世話をした母には心から感謝していたようです。

「あんたがあんまりよくしてくれるから、誰かに話さんと死ねへん」というのを「そんなん、おばあちゃんさえわかってくれてたらえんやし…」と母が答えていたのですが、祖母はどうにも納得してくれなくて、祖母の姪にあたるTさんを田舎からお迎えする話になりました。

祖母は喜んだのですが、皮肉にもそれで興奮して血圧が上がったようです (ーー;)

で、その状態で突然真夜中に幻覚を見たり、お仏壇にロウソクをあげたりと、一時的な認知症?と疑われる状態になりました。

夜中に火を触るのは非常に危ないし、また祖母はアレルギー体質で、うかつに降圧剤が飲めなかったこともあり、まだ比較的新しかった老人向けの療養病院に入院してもらうことになりました。

家族は、特に母はよく病院にも通ったと思います。私は当時勤めもありましたし、父も同様で、行けるのは休日くらいしか無理でしたが…。

結局3〜4年だったかな、祖母はそこの病院で亡くなりました。臨終は家族全員で看取りました。まだ時代は昭和でした。

祖母は祖母なりに幸せだったのかな?と今ごろになってからふと思います。どこで学んだのか、文字は書けなくともいつのまにか新聞も読んでいましたし…。

家事に追われるとか、そういうこともなく、それなりに旅行もして、私が幼いころには非常によく面倒を見てくれましたし…。

うん。きっとまあ、それなりの人生だったと思っていたのかな?

孫から見るとまだまだ知らないエピソードが山のようにあると思いますが、それらは永遠に聞けないものになってしまいましたし…。「生きる」ということの不思議な摂理に改めて心を揺さぶられてしまいます。

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