ここ数日、思うようにイメージがまとまらず、鉛筆を握ってはいるけれど、どうにもきちんと仕上げよう、という気になる絵が描けなくて悶々としております(ーー;)嶺
困った。デザインの方で遊び過ぎたのがいけなかったのかな? 経済的なことで悩んでたのも駄目だったのかな?蓮
自分でも原因はよくわかりませんが、「自分が納得出来る絵が描けない」というのが、たぶん最大の理由で、やや鬱傾向にあります。困ったものだ。こんなことくらいで沈むことになろうとは…(ーー;)怜
昨年末近くに Dr. Lisa Randall にいただいたメールで、非常に未来が楽しみなお話を伺って、それ以来、かなり安らかな気分ではありましたし、このまま落ち込まずにいけるかなあ、とちょっと期待してたんですが…。まあ、もしかするとこれが一般的にスランプというものかもしれませんが…(ーー;)怜
こういう時はいっそ何もしないでいる覚悟が必要なのかもしれません。けれども「何もしないでいる」と不安になってしまうのが困った性分なんだよねえ…。これが病気だと言われればそれまでのようでもありますが…(ーー;) なんとか浮上して、意欲的に創作に向かわないと、と思うんですが、その意志の通りにならないのがもどかしいです。嶺
どうせ今週は比較的のんびり出来るのが今日だけのように思えるので、対外的な雑事をこなしているうちにまた創作の神様も降りて来てくれるかなあ…?うーむ…(ーー;)怜
本当はこうしていろいろと悩むわりに、なにもあの世には持って行けないんですが…。けれども生きている限りは自分にしか出来ないことを精一杯やりたい、と願うのも人間ですよね。
昨夜はこの本を読んでました。
数年前からずっとひっかかっているエリザベス・キューブラー・ロス。
この本は喪失体験から得るものの大きさや重さ、死を見つめることで逆に見える生と人生で一番大切なもののことについて書かれています。
このあいだの「死ぬ瞬間」はいまだにケアに関わる人たちにとっては聖書のような本らしいです。でも現実の医療の現場を見ると、それに関わる人たちがいくら「こうありたい」と思っても、それを実行出来ない厳しい条件というのもありますよね…。蓮
スピリチュアルな世界で言われているような劇的なアセンションというのはおそらく起こらないだろうな、と個人的には考えています。ロスが切実に綴った内容の、こんなふうな終末期医療が当たり前、というくらいの現実の世の中にならないと、とても劇的な進化は臨めないだろうな、と感じるんですよね。怜
ましてやあと1,2年でどうこう、というのはとても無理だろうな。残念ですが。みんなして幸せだと思える世界にならないと駄目なのよね、多分。特定の宗教の名のもとに争いが起きるようでは無理なんですよ。輦
そういう世の中だからこそ、意識改革は大切だと思えますが…。いろいろと難しいな、と思ってしまうあたり、私もやはり鬱の中にいるという証明のようなものでしょうか…?怜