お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

神仏は市井に在り

丹 このところずっと朝が遅めになっております。でも一応7時台には起きてるんですけどね~。

それでも朝ちょっとグズグズしていると、すぐに9時になります。で、それから買い物など行くと、本当にあっというまにお昼になるんですよね~。せめて7時になる前に起きれば、もっと一日が長く感じられそうな気がするんですが、それがなかなか難しい。反省…(ーー;)嶺

で、今朝も100円ショップとコンビニのはしごをして買い物をしていたら、すぐに11時前になっておりました。調味料だの牛乳だの油だの、重いものが多かったので、はしごはきついんですが、一旦帰宅すると再度行くのが嫌になるから、まとめて用事を済ませます。

でも本当に重かったです。今度から荷物が重くなったら、無理やりにでも弟を呼んで取りに来てもらうことにしよう。そうしよう。嶺

帰宅するとしばらくはダウンします。この場合、足りないのは気力なのか体力なのかはわかりませんが。自分でも結構情けないです(ーー;)輦

自分のことをするだけで、こんなにすぐにダウンしているようでは、人のために行動できる日がいつ来ることやら…と思ってしまいますし…。自分の理想と現実のあいだに激しくギャップがあることが哀しいです。輦

 そういえば、昨日母のところに、以前うちが檀家だったお寺の、やはり檀家である人から電話がかかってました。まだ後継者云々で揉めていて、裁判も決着がついていないそうです。まだやってんの?と呆れちゃいますね~。聯

こういう時に迷惑するのは檀家さんたちで、揉めている両方から「うちが正しい」という主旨の文書が来るわけですね。で、基本的にお墓がどちらに所属するものなのか、皆さん悩んでしまうわけで…。

まあ、母が昨年父が亡くなったこととか、それ以前に「両方から縁を切った」という話をしましたら、その奥さんも「若い人たちと相談して、うちもそうしようかなあ」と言われたそうです。…だよね~。今に遠からず信者さんや檀家さんから見捨てられるんじゃないかしら、と私は思ってしまうんですが…。怜

どちらの返事か忘れましたが、「もうどちらも辞めます」と私が連絡した時に、ご本尊はどうされるんですか?とか聞かれた記憶もありますが…。

うちの場合、大正時代に私のひいおじいちゃんが檀家になったらしく、日蓮正宗のご本尊というのが、掛け軸ではなくてかなり古い大きな位牌みたいな形になってまして、それが「値打ちもん」だと言われたりしてました。

が、私にすればそういう形だけのものはそうでも良くて、ご本尊は布に包んで仏壇下部の引き出しにしまってあります。かわりに現在の仏壇にはこれまた年代物の過去帳と、新しく作った父の位牌が収めてあります。どーんと正面に(^^;)烈

父の介護をしている間に、私も結構本質が見えたというのかな。「神仏は市井に在り」ということを痛感したわけですね。烈

昔、100歳を越えた当時の清水寺貫長さんが「観音さまにはお姿(肉体)がないから、あなたの身近にある人の身体を借りてきはるの。それは家族かもしれないし、友達かも、ご近所さんかもしれへんけど…」と言われてたのが強く印象に残ってまして…。

その具体例だよなあ、と実感する人たちに数えきれないほど出会ってしまったわけですよ。介護の関係で…。看護師さんたちや先生たちや…。劣

単なるお仕事とか義務とか、そういうものを越えた愛情の存在を感じまして、そういう立場の人たちに比べたら、全然違う位置で信心云々とか言われてもまったく説得力がないんですよね~。蓮

「ご本尊ほどありがたいものはありませんで」とお坊さんに言われて、あっさりと「そんなことないですよ」と言ってしまった私(^^;) 

それは結局、もっと身近に仏性を実感したからの確信でした。単なる葬式仏教になってしまったのは価値がないんですよ。もっと衆生のあいだに立ち交じって、困っている人たちに親身になって手助けしてくれるような人でなければ尊敬も出来ませんしね。

まあ、そういうことを含めて、「本当の信仰の形」とか「神仏の本質」とか大きな形にならないものの課題を自然に学べたのは本当に意義あることでした。介護も貴重な学びの場所でした。人生って本当に無駄なことがひとつもないようになっているんですね~。漣

だとすると、今の悔しさやもどかしさが、いつかまた役に立つ経験になることがあるのかな、とちょっと気を取り直す私なのでした…(^^;)怜

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