昨日は初七日ということもあって、ご近所さんなどがぽつぽつとお参りに来てくださいまして、夜までなんだか訪問者が絶えない日でした。
取り立てて仏事はしませんし、親戚を呼ぶのも満中陰だけにしようと思っております。また般若心経はEさんにお願いすることにして、あとでささやかなお膳を囲むくらいですかね。
で、今日は午前4時台起床で、諸手続きの目処をつけるために、ほとんど終日かかっておりました。非常に疲れました(ーー;)
母の病院と区役所と郵便局と社会保険事務所とかその他もろもろ…。ちゃんと戸籍に死亡が反映されてからでないと出来ない手続きも多々ありまして、本当に「親を送る」というのは葬儀以後にも課題を残すために、かなり大変なことなんだなあ…と痛感しております。祖父母の時は主に親の世代がやってくれたことですが、まあ、次第送りといいますか、順番ですね(^^;)
このあとは四十九日までに親戚関係の香典返しとか、喪中ハガキの準備とか、お位牌の用意とか、まだまだ諸事雑用が山のようにあります。うーん…大変だ~(ーー;)蓮 でも取りあえず、明日はちょっとゆっくり休めるかなあ?と期待したりして…(^^;) 「うーん…しんどいよ~。ごめんね、ちょっと一服ね」とまた祭壇の前で横になる私…。
あー、そういえば、昨夜母と話している時に、誰も触らない電話の受話器とメモ帳がちょこっと動いてました。私がよくぶつかる場所なので、きっと父もぶつかったんだろうな、と笑っておりました(^^;) (←全然不思議に思わない母娘) 昼間は弟も二階で寝ていることが多いので、階下の留守番は父に頼んで出ます。「人使いの荒いやつらだ」と、父も苦笑してそうです。ちなみにアンディ・ウィリアムスのハワイアンアルバムは家でのお経のかわりになっております。 朝は誰かが般若心経をあげますけどね。
ニュースを聞きますと、昨日ですか、南田洋子さんも亡くなられたようですね。あそこのご夫婦も大変な晩年でしたが、でもきっとそれなりに充実感が残ったんじゃないかなあ、と勝手な想像をしております(^^;)
うちの両親も本当に父が亡くなるまで…というか、亡くなった現在でもいまだにラブラブみたいですし…。父が寝たきりになってもおはようとおやすみのkissは日課でしたので、たまたま居合わせたケア関係のスタッフさんが赤面されていることも…。ということは、私は常から見てるからごく一般的なことだと思っていたんですが、世間ではそうでもないのかなあ…?
亡くなる瞬間も母と私が両方の頬にぴったり顔をくっつけていましたので、父も寂しさを感じなくてすんだかも、と思っております。本当ならICUにいた時に亡くなっていてもおかしくない状態だったので、退院後16日も頑張ったのはやはり自宅で死にたい、という願望が強かったのかもしれません。
出棺間際のお別れに参列してくださった方々が「ああいう穏やかで綺麗な仏さんのお顔は本当にものすごく久しぶりに見たと思う」と口々に言ってくださいました。よかったです~(^.^)
実はお骨挙げの際に、私は心の中で、あのひとかけらをこっそり口に入れたいなあ、という衝動に耐えておりました。誰も見ていない瞬間があれば実行していたかもしれません(^^;)
まあ、いずれペンダントかなにかに入れて家族それぞれがいつも身につけていられる形にしたいとは思っているのですが…。メモリアルペンダントもいろいろ物色しております。チタン製だったら金属アレルギーの私でも大丈夫かもしれませんね~。