いろいろとご心配おかけして申し訳ありません。昨夜は比較的早くに寝たんですが、夜中に何度か起きて、父の吸引などをしていたので、ただ寝るだけで疲労回復を期待するのは無理なようです(^^;) でも精神的にはわりと落ち着いてきました。
金曜日に久しぶりに父のお腹のマッサージをしましたので、今ごろものすごく左手が重く、だるく感じております。嶺 洗濯物を干すのも辛いのに、お絵描きは出来たんですよね~、自分でも不思議ですが(^^;)
あ、そういえばマッサージの先生にも「これで仕事が出来ますか?」と言われたくらいに左手はくたびれているようです。半端じゃなく張っているらしくて。それでもお絵描きは苦にならないんですよ~。力の入る筋肉が違うのかもしれません。
私は子供の頃(本当に幼児期)に何度か死にかけたことがあるようです。今でも原因がよくわからない自家中毒症状に頻繁になりまして。…しかもそれが毎回重篤になるんですよね。胃液も吐き尽くしたら、次は血を吐くような状態で、その都度入院のはめになりますし、3日や4日意識不明になることがしばしばありました。
たかが自家中毒、最近はあまり聞きませんし、それで死ぬようなことはないと思われますが、それでも手当てを受けないと死んでただろうな、とは推測されます。で、気がつくと、木綿針のような太い注射針で太ももにリンゲルの皮下注射をされていて、親がそのあとお湯でマッサージして、液剤を吸収しやすくしてくれていたのを覚えています。
当人にしたら、意識不明になる前後がひどくしんどくて、ちょっと寝て起きたら数日が過ぎていた、という感覚しかなくて、特に臨死体験のようなものをした覚えもありません。でも「なにもわからないのって楽だなあ…」とどこかで感じていた気がします。
普通に「死ぬのが怖い」と思っていたのは小学生の頃くらいまででしょうか。小3の年には祖父が自宅で亡くなりましたし。
それが中学生くらいになって、初潮を迎える頃になると、いわゆる月経前緊張症のひとつとして、イライラ感(これを感じる女性はかなり多いようですが)のみならず、どうしようもない厭世観に襲われるようになります。特に深い原因がなくても、ただ生きているのがしんどい、と感じるようになってしまうんですね。
クリニックの先生の言葉ですと、月経前緊張症と鬱病はきょうだいのような関係になるらしいですが…。まあ、生まれつき、鬱になりやすい遺伝的な素養とかはあったんだなあ…。蓮
10代の頃から、毎月のように厭世観に襲われているうちに、いつしか私は「死」が怖いものだと感じなくなってきて、むしろいつのまにかシンパシーのようなものを抱くようになってしまいました。思春期の少年少女が誰しもそういうふうに感じるとは思えませんが、自分が生きるために「意味」とか「目的」とかを切実に必要とする人間らしいなあ、と気付いたのもその頃のようです。
だから今でも「死」ということにマイナスのイメージはありませんで、むしろ永遠の安息にどこかで焦がれているような部分もありますね。嶺
自殺したいとは考えないし、現世での意義が存在する限り、嫌でも生きていないといけないなあ、とは感じていますし、今生での課題がすめば、やっと肉体から解放されるんだよね、と思っております。だから課題は頑張ってこなさないといけないんですが…。
それでもあまりに疲れると、積極的ではないにしろ、早いこと解放されたいなあ、と心のどこかで思うようになります。その時期がいつかは神のみぞ知る、ですが。
ですから、「ひどく疲れた」と感じると「楽になれたらなあ」という思考に直結してしまうあたりが鬱ならではのことなのか、私独特のものなのか、それもよくわかりませんが…。
なんにしても「普通に生きる」ことに人一倍気力を要して、自分を励まさないといけないのは確かなようです。だから誰かの役に立つという条件なら、あまり死ぬのも悩まないかもしれません。信頼と愛情を寄せる人が誰もいない世の中で生きることのほうが辛いんですよね、私には。
もしも私が現在の父のような状態になったら、意思表示が可能なら、PEGを拒否していただろうな、と思います。父の本心はどうなのか、そこまで深いことを尋ねるのは不可能ですが、もう4年目、同じ姿勢で寝たままなのは相当に辛いだろうと想像出来ます。
けれどもどうなのかな…。死ぬのが怖い人だから、どういう状況でも生き続けていたいと望んでいるのかな…。家族としてはどういう状態でも生きていて欲しいと願うのが正直な気持ちなですが…。
今の医学のない時代なら、最初の発作の時に死んでたと思うんですよね。その時期を逃してしまったから、とことん寿命が尽きるまで生きなければいけないとういうのも…、なにが幸せなのか、よくわからなくなってしまいます…。輦
私の課題はまだまだ続くらしいです(ーー;) 自分を励ます気力が尽きないように、自分でも願っております。