昨日はとうとう日記を書く気力がありませんでした。嶺 ここ数日の素人マッサージで、両腕がだるくて、肩凝りがひどくて、キーボードに触れるのもしんどい、っていう感じになってしまっておりました。輦
そろそろ介護の休みが欲しいぞ、と切実に思っていたりします。嶺
父は昨日、インフルエンザの予防接種を受けまして、そのせいかどうかはわかりませんが、夕方から夜にかけて、また眼が上方固定していましたし、吐き気の発作も起きましたしね。いまいち昨日は不調だった感じですね。だから今日の訪問入浴も心配してたんですが、手早く済ませてもらえたおかげか、今のところは発作も起きていません。午後は看護師さんが来てくれますが、今日は摘便しなくていいと思いますし、さほどしんどいめにあわさずに済むかなあ…と考えております。
このところ、なにかというと手続き関係の本人証明がうるさくなって、なにをするにしても父の代わりに家族が手続きをしようと思うと、本当に手間と暇が半端じゃなくかかってしまうので、正直かなり苦痛です。蓮委任状が必要だと言われても、その用紙を取りに行くだけでも大変ですしね。嶺 うちみたいに眼が離せない病人がいる家庭とか、そういう大変さを理解して欲しいと思うんですが、やはりこういうことって自分の身にならないとわからないものかなあ、と思ったり…。
相手が人間であれ、動物であれ、病人や老人であっても、相対する時には目線の高さを合わせる姿勢がないと駄目なんですよね。「理解したい」とか「受け入れたい」という気持ちがあれば、自然とそういうことになると思うんですが…。子供の目線と高さを合わせること。老人と目線の高さを合わせること…。それってコミュニケーションの基本じゃないかなあ、と思ったり…。
私はよくやってますね(^^;) 赤ちゃんが相手だと隣に寝ころんでみたりしますし。動物もそうです。ちゃんと座って話すと気持ちが伝わるというか、そういう経験もよくありますし…。今は父の目線を知りたくて、隣に寝てみたりもしてるんですよね。劣
そういうこと、きっと出来ていないだろうなあ、この国の上に立つ人たちには。廉 だから官僚も政治家もお利口さんがいないんですよね。まったくね。国民が呆れるのも当然ですね。玲
昨日は不本意にもかなりの時間をダウンしていたので、今夜あたりは真面目にクロッキーブックを拡げてみたいと思う私でした。