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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「必要」とされること

まだまだ蒸し暑い日ですね。朝のうちに買い物に行くつもりだったのに、雨模様で行きそびれてしまいました。まあ、明日でいいかな。父の退院となるとこまごましたものが必要になりますし、100円ショップで買いだして来ませんと…。

 今日は母がしんどい、と訴えるので、寝てろと言って、私一人で病院に行って来ました。昨日、父のそばで母と私とケアマネさんと、みんなで退院についての話などしていたので、どうも聞くともなしに聞いていて、それでまた精神的に「おうちモード」に戻ろうとしたのかもしれません。今日はまともな眼をしてました。

心配させると可哀想なので、母は用事で留守番だと伝えて、いつものようにひげ剃りとか口内ケアとか、ひととおりすませたあとで、横に座って手を握って、じっくりと話していたんですが、今日は「うん、うん」と言いながら聞いてました。新しいベッドが来たことや、エアマットも最新型で性能がいいものだとか、先生や看護師さんの訪問の話とか、その他もろもろ。推察するとおよそ納得したのかなあ?とも思えます。

ケアマネさんの話だと、家と病院とでは父の顔が別人かと思えるほど、全然違うらしいですしね。病院だとぼーっとして反応もない「入院モード」になっているそうです(^^;) それがまた徐々に現実モードに戻りつつあるんですね。

面白いですけど、父にとっては「自分も家族の一員」だと感じることが大事なのかもしれません。寝たきりでも家族に必要とされている、という実感があるんでしょうか。…どうもそういう気がします。「誰かに必要とされること」って最期の最期まで必要なものというか、生きる意義というか、そういうものなのかもしれません。

ふとマザーテレサを思いだしたりして。烈

誰かのために、特に愛する人のために生きることって、一番の幸せなのかもしれないですね。その実感を持ったままで終わりまで安心して過ごして欲しいと思います。

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