昨日はまあいつものように忙しいとか、体調不良とかいろいろとありましたが、かなり鬱傾向がひどかったので、日記をお休みしてしまいました。嶺 そういう時はろくなこと書けないですしね。自分でわかっていてもどうしようもないことって結構ありますし。怜
廬 でもそのかわりというか、そのおかげでというか、イラストの新作が完成しましたので、サイトの更新も出来ました。近いうちに壁紙を作る予定もありまして、ゆえに秋のイラストです。 明日から9月ですもんね。10月くらいには早くも年賀状のことを考え始めるので、あわただしい限りですが。蓮
このところ、朝方というか、明け方や朝早くに結構雨が降っています。雷も鳴ってるし。おかげであまり気温が上がらないのは嬉しいです。湿度は高いですけどね。
さて、今日ももうじき看護師さんが来てくれる時間帯になりますが…。
★Web拍手ありがとうございます。
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関心を持って見ていると、このごろ普通に新聞の記事などでも鬱病のこととか、介護のこととか、身近なテーマをよく見かけます。今呼んでるY紙なんて両方載ってるもんね。まあ、それだけ社会でも無視できない問題というか、テーマなんでしょうけど…。
で、いわゆる「大うつ病」というのはかかった人のうち完治するのは2/3で、あとの1/3は部分的に治癒するか、もしくはまったく治らないケースだということでした。しかも再発しやすい病気ですし。
私や弟の場合は発病してからかなり長いし、あまり目立った薬の効果もありませんし、難治性鬱病で、生涯治らない可能性も高いなあ、と最近思っております。輦
症状には波がありますし、わりと軽い時期、体調がひどく悪くない時はそれなりに無理がない仕事(在宅でとか)は出来るかなあとも思うんですね。そういう機会をこれからどうやって作っていくかが問題ですけど…。
要するに治らないものならばそれなりに気長につきあっていくしかないなあ、と開き直りの心境になりつつあったりして…。秊 うちの家族などは遺伝的なものも結構ありそうだし、私個人の場合には思春期以降はもう人格形成そのものと深く関わってきていますので、病気を全部マイナスだと捕らえると自己否定にもなりかねないんですよね。嶺 それはちょっと哀し過ぎるなあ、と思いまして。
誰しも生まれ持った性格とか体質とかも含めてのパーソナリティがありますし、それでもそれを含めての自分なら認めて受け入れていくしかないなあ、と…。好きとか嫌いとかそういうレベルの問題じゃなくて、ありのままに自分の一部として認められるようになったら、また別の可能性が見えてくるんじゃないかなあ、と思うんですね。劣
まあ、こういうことを言いつつも、あまりにも身体的な症状がひどいと、また落ち込むし弱音も吐くと思うんですけどね。仕方がないですね。これも自分の個性だと、きちんと受け入れることが出来る人間になりたいです。
…お絵描きしながらそういうことを考えておりました。