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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

受け入れること

 暑いですね。今年は空梅雨なのかもしれないなあ。他では集中して降っている場所もあるのにね。

病院に行って、区役所に行って、郵便局とコンビニにも行って、シャワーと洗濯をすませたので、あとはフリーな時間です。撚 明日は朝から晩まで病院にいます。多分8時とか9時ごろまで。きっと痛がると思うので…。再チャレンジでまた駄目だったらすごくがっかりすると思うので、どうか上手くいくといいなあ。嶺 病気がそうさせるのかもしれませんが、父自身は家に帰ればまた元気になれる、っていうふうに思っているきらいがあります。悲壮にならないのはそれゆえかな。まあ、それはそれでいいのかもしれないですね。

Web拍手ありがとうございます。

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私が「パニック障害」なる病気とつきあってきて、もはや30年以上になります。不自由はいっぱいありますが、それでも症状自体には波があって、調子がよければわりとあちこち外出出来る時もありました。家族で旅行のために沖縄や北海道にも飛行機で行ったし。 

でもひどい時には家から100m先の信号すら渡れませんでした。電話の前で救急車を呼ぼうかと座り込んでいたこともありました。

まあ、確かに特効薬があるわけではないし、専門家に言わせると「一生治らない」とも言われたりします。蓮

このごろの私は気がつきました。病気の中には治すために闘わないといけない病気と、受け入れて共存することが必要な病気とがあるんじゃないかなあ、ということに。

まだまだやりたいことが一杯あるのに深刻な病に倒れてしまった人が、それを治すためにあらゆる努力をする、という心がまえは大切なことだと思います。実際にそういうイメージの想起が自己治癒力を高めることも多いですしね。

でもメンタルな病気というのは、ほとんどの場合が後者、受け入れることが必要だと思うのですよね。唯一闘う必要があるのは、あらゆる「依存症」の場合かな。アルコールにしろ薬物にしろ、これらは闘うべき相手がまぎれもなく自分自身です。自分に負けてしまうと、家族までを巻き込んで不幸にしてしまいます。愛するものや愛する人がいるのなら、そのためにも自分と闘ってください。

その他の場合、メンタルな病気はなかなか一筋縄ではいきません。もともとそういう病気になりやすいタイプの人は真面目な人が多いようです。だから「病気」イコール「治さなければならないもの」となってしまい、そのためにかえって焦りや落ち込みの中にはまってしまいます。

私も以前はそうでした。

が、さすがに30年以上、この病気とつきあってきて、現在のように「それでも動かないといけない」状態になった時は「出来ない」とは言えないんですよね。自分のことを考えるよりも先にとにかく動かないとにっちもさっちもいかない状態で。嶺

「仮にここでパニックの発作が起きても、誰かがなんとかしてくれるだろう」というのと「それでもし死んだとしても、楽になれるのならむしろ有り難いかもね」という、一種開き直りの心境ですね。今年はそういう心境でずっと動いてきました。

…そうすると不思議なことに、パニックの発作自体はあまり起きていません。…っていうか、ほとんど自分のことにかまっていられない状況でしたしね。それがよかったのかもしれません。体力的には確かにしんどいんですが、ちっとも痩せないし(汗)

それで気が付きました。「治そう」「治さないと」という意志がむしろこだわりになってしまい、かえってがんじがらめの精神状態になってしまうんです。それは良く無いですね。むしろ発作を呼び起こしてしまいます。

「受け入れる」ということは、実は「こだわりから自由になる」ということなのでは?と思います。治すために努力は必要ですし、諦めることもないですが、「とらわれないこと」って実は大事なんじゃないかなあ。

私もそれなりの年齢になってきて、昔のようにすべてのことを完璧にこなすようなことは無理になりました。やる気はあっても身体がついてきてくれないんですね。だから今はその時、その時に応じて「やるべきこと」「やりたいこと」をひっくるめて、自分の中で優先順位をつけています。限られたエネルギーを有効に使うのはそれが一番いいな、と思っています。

老境&病弱の両親を見ていると、自分の症状のみに捕われて悩んでいる時間がもったいない、とも思うようになったんです。人生半分以上来てますしね。残りの時間を有益に生きようと思ったら、病気に悩んでいるのが勿体無くなってしまったのです。なおすためにやっきになってエネルギーを使うのではなく、それをもっとクリエイティブな方向に向けたいなあ、と思います。

受け入れてみるとそれも「病気」ではなくて「個性」だと思えるようになりました。それも含めて自分の個性だと思った方が有意義に生きられるしね。不自由はあるにしてもそれなりにつきあっていく方が無駄な時間を使わず、なおかつ、創造的に生きていけそうな気がします。だとしたら、やはりいつ死んでも悔いは残らないから。

ずーっと振り返ってみると、私も挫折とかいーっぱい経験していますけど、それが無駄だったと思ったことは一度もないんです。だから、パニックに悩むというのもなんらかの意味があるのだと思います。今生の修行の一つなのかな。だったら、やはり一生気楽につきあっていった方が楽しいに決まっています。鍊

メンタルな病気以外でも、風邪などでもそれはやはり「休養を取りなさい」と身体が警告を発して、注意を促してくれているのだと思います。鬱になって、仕事を休まないといけない場合でも同様に天からもらった休暇なんだと思います。

病気でも障害でも、不自由はあるにしても、それをハンデだと思わないで「個性」だと思った方が前向きになれそうな気がします。病気イコール必ずしもマイナスだって考える必要はないんだなあ、ってことに気付いた私。それだけでもこの人生、一つ大きなことを学べたのかもしれません。

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