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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

消化と昇華

 暑いですね。昨夜は寝苦しい夜でした。

今日は早くに出掛けたために、もう帰宅しております。父が眠ってしまうとすることもないですし。現在絶食中で、いい点滴を受けているようで、昨日よりは顔色もよく、楽そうに見えました。むくみもいくぶんましになっているようです。でも胃樓の前の栄養補給のために鼻からチューブで食事、となるとまた嫌がりますね(汗)嶺勝手にチューブを抜かないように手の拘束も許可してきたんですが、ああ、でも嫌なことされたら絶対に余計に怒りっぽくなっているに違いないです。早く退院するために、と説明して、はたして理解してくれるんだろうか。かなりの不安も残ります。蓮

はあ…日々ため息玲

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 かなり以前のことなので、誰の台詞だったのかも記憶が定かではないのですが、とにかく創作に携わっている人のことでした。その人は自分の作品のことを「排泄物と同様」だと考えていました。

つまりね、おおかたの人間は創作の最中って無心ではいられないんですよね。私とてその例外ではなく、雑念だらけです。それも決してプラス思考ではない、むしろマイナスの想念の方が多いですね。

そういうものを内包して生まれて来るものだから、「排泄物」だと形容されたのではないかと思います。

でもそうじゃないよね、と私はずっと思ってきました。確かに無数の悪想念も存在しますし、マイナス思考もあります。でもそれをそのままの形で表現するわけではなくて、一旦は自分の中ですべて噛み砕いて呑み込んで、あらゆる要素のものの混沌の中から、一段と高いレベルの「美」を目指しているんだと思います。

高みを目指すからこそ、もろもろの悪要素も昇華されていくんですよね。呑み込んで、受け入れて、自分の中で癒し、成長させていく過程が「創作」というものではないかなあ、と思います。

まあ、渾沌そのものを描きたいと望む人もいますし、それはそれでいいと思うのですが、少なくとも他の人をいい心持ちにさせるような美的な作品は昇華する過程を経ないと生まれないように思います。消化して、さらに昇華するんですね。物質ではない想念の世界だから可能なことだと思います。

無垢なるゆえの美、とかそういうものもありますが、自分が求めているのはおそらくはそういうものではないと感じています。善も悪もいいものも悪いものも、すべてを受け入れて呑み込んで、昇華させる…かなりの許容量がないと出来ないことなのかもしれません。

でもどうせならば、自分が出逢ったすべてのことをしっかりと栄養にして、ひときわ美しいものを創作することを目指していたいなあ、と思うのでした。難しいことですけど…。

そういうものだからこそ、自分もその過程において癒されていくのだと感じています。

…今日は真面目に「美」と「創作」について考えてみました。たまにはこのカテゴリらしい話題でもないとね(笑)秊

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