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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

ダイエットの意義ってなにかなあ

不良中年さんの過酷なダイエットの日記を読んで、ふと我が身を振り返ってしまった。蓮

 幼児期の私は非常に食の細い子だった。ほとんど牛乳だけで生きていたようなふしがある。母も食べさせるのに苦労していたようだ。家で食べないので、うどん屋などに連れて行く。でも食べない。ただ友達が家に遊びに来てくれた時だけは、その子につられて食べていたらしい。

そのためか身体も弱く、何度も入院するはめになっていた。

小学生になっても食は細く、嫌いなものも多いので、給食の時間はほぼ拷問に近かった。いまのように無理強いをしないという風潮はなく、嫌いなものも食べてしまうまで残される。よく登校拒否にならなかったものだ。(いまだとこれって虐待になるそうですね)子供の頃の私は食べることそのものに関心がなかったのだ。

しかし高学年になるにつれて変わってくる。成長期に入った。給食も嫌いな脱脂粉乳ではなく、牛乳が出る。成長期の身体の要求に伴って少しずつ食欲が出て来て、やがて給食も全部食べられるようになった。

それ以降、中学生の時も食欲は順調で、お弁当だけでは足りなくて、購買部でパンを買って食べるくらいに旺盛になる。でもその時は標準体型だった。なんでも食べるおかげで、徐々に体力もついたようで、中学時代はあまり風邪をひくこともなく、ほとんど無欠席でとおした。

高校時代、さらに食欲は旺盛になってしまう。お菓子の類いに手がのびる。それで体重も増えて行く。お菓子の多さが災いしたのか、高2の秋に慢性膵炎になり、脂肪と糖分の食事制限を受けた。実際に食べると気分が悪くなるので、セーブしているうちに自然と痩せた。ただ貧血にはなったけど(汗)

やや、やせ型の体型で小児科病院に勤める。でもこのころは体力がなかったらしく、患者さんから毎月のように風邪をもらってしまい、ほとんど風邪をひきっぱなしの状態に…。さらにストレスがかかって拒食症に近くなり、一時期は受け付けるのは水分とプレーンヨーグルトのみ、というようになった。食べないと、と思うだけで吐き気がするのね。

さすがにまずい、と内科を受診。この時にもらった薬がドグマチールというやつで、よく効いた。でも体力のなさはどうしようもなくて、病院勤めは5年でアウト(汗)

「やや痩せ形」の時期は15年くらい続いたかな。けれども弟家族と同居するようになって、「作ってもらったものは無理矢理でも食べないと義妹に悪い」という意識で、頑張って食べるようになる。それとこの頃から鬱の傾向が出始めて、以前によく効いたドグマチールをずっともらうようになる。その時の私は知らなかった。その副作用に「太る」ことがあるということに。

おかげで徐々に体重が増え始めて、10年以上かけて、現在は一番痩せていた時の倍にもなってしまった。

でもねえ…。冷静に自分の歴史を観察してみると、食べ物がおいしい、と感じる時は体力もあって、意欲もあるような気がする。「食べ物にはほとんど関心がない」という時期は基礎体力がやっぱりなくて、病気ばかりしていた感じなんだよね(汗)

だから現在はダイエットにもかなり慎重になってしまう。世間をよく見てみれば、「ものすごく太った老人」はいないし、うちの両親の台詞では「年を取ると嫌でも小食になってくる」らしいので、そういう自然の変化にさからわずにいようかなあ、と思ったりしている。痩せて長生きしたいとも思わなかったりもするしね。

それよりも今は「心の満足」を大事にしたい感じ。それゆえに相変わらず毎晩のアイスクリームがやめられずにいるのです(汗)今日も一日頑張ったし、と自分のご褒美のつもりで、まあ、晩酌のかわりかな(笑)

いや、実際に着るものには困ることも多いけど、今は大きなサイズの既製服も多いし、本当に困ったら自分で作ればいいか、と思うし。なにか大きな「ご褒美」でもない限りダイエットは出来そうもない…(汗)…どころか、今食べることを制限されたらマジで暴れてしまいそうだ(汗)脳が納得しない限り、ダイエットもうまくいかないんだろうな、と感じているこのごろの私だったりする。嶺自分に甘い、とは思うんだけど…ダイエットの意義がないと出来そうにないのが困ったところなのよね(汗)怜

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