師走も1/3が過ぎました。ああ、なんだか落ち着かない毎日です。年賀状の印刷のタイミングも難しいですしね。まあ、その気になれば一日で出来るから慌てなくてもいいかなあ。
今年は母の体調がいまいちなので、おせちを作るのはやめよう、と話しています。クワイだけは作ることにして(父と弟の好物)あとは年末にかまぼこ類やだし巻きくらいは買いに行くとして。年末年始でもコンビニもスーパーも営業しているし、お弁当など弟と手分けして買いに行けばいいかなあ、と。まあ、お雑煮は作るでしょうが、なるべく特別なことはやめたいのが正直な所です。母がいなくなったらもとより面倒なおせちなんかは自分では作らないだろうしなあ…。家族が元気でいないと正月行事はきちんと出来ないなあ、と痛感しますね。そんなわけで今年は手抜き予定です(笑)
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文章の方は昨日からあまり進展していません。まだ7枚目を書いている途中だったりします。
公に仏教が伝来する前の時代が舞台だと、現代では何気なく使われている言葉の多くが、実はかなり仏教がらみの言葉だったりすることがわかってきます。
たとえば「小僧」とか「餓鬼」とかいうのは明らかに仏教がらみの言葉だったりするんですよね。発音は使うとしてもこの漢字をそのまま使うのはやはり問題がありそうです。ではなにを使えばいいのか、と悩んだ時に必要なのが古語辞典だったりするわけで。
現代では外来語の方がニュアンスがぴったりする言葉も多いのですが、さすがに外来語は使えない。それで必死でそれに該当する日本語捜しもしなければなりません。「パニック」を「恐慌」と言い換えてみたのはいいのですが、その「恐慌」という言葉自体も実は結構新しかったりするんですよね。難しいです(汗)
さらに一人称で「僕」というのはかなり新しい言葉で、幕末くらいに使われるようになったということはわかっているのですが、現代のニュアンスではわりと育ちのいい男の子の一人称みたいな感じが定着してますよね。そうするとやはりそういう雰囲気を出したいために、あえて使ってしまったりします。特に主役級の人物の言葉は大仰な時代言葉でないほうがぴったりするので。
三人称の「彼」というのが万葉時代でも使われていたのに対して、「彼女」はこれもまた新しい言葉です。やはり近世以降じゃないのかな。「彼のひと」というのならば江戸以前でも使われていたようですが…。
日本語の歴史と変遷は奥が深いテーマです。学問になるくらいですもんね。なるべく嘘っぽくならないように、それでいて時代の雰囲気が出るように…絵の場合のみならず、言葉による表現もそれなりの考証が必要不可欠だったりするのでした。