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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

言語の壁を越えて

今日はホームセンターへお買い物。ずっと切れていた二階の部屋の照明とテレビのリモコン、園芸用の土などを購入。ふと見るとレターケースが安かったので、いずれ近々増えるスタンプの整理が出来ないかと、これも購入。名刺用の用紙なども買ってちょっと一息。うちの近所のホームセンターなのになかなか行けない現状で、長岡京がとても遠くに感じてしまう(汗)うーん…今月一杯でポイント有効期限が切れてしまう。もったいないしなあ…行けるといいなあ…。

春はとりわけ体調が良くないので辛いなあ。

Web拍手ありがとうございます。

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最近、海外のサイトを検索する時にgoogleの自動翻訳などを試してみたりするんだけど、自動だけあって、日本語として理解するのにかなりの読解力を必要とするんじゃないかと思ってしまうことが多い。これはなにも検索だけではなく、翻訳サービスのサイトを利用しても同じなんだけど。

ゆうべなんかアメリカの某デザイナーの名前で検索していたら、「生きている台所」なんていう単語が出てきた。しばし考えたけど、つまりこれは「リビング、キッチン」のことなんだよね(笑)笑える。訳さなくてもいい言葉まで訳してしまうからなあ。

私はあまり翻訳ものの本を読まないんだけど、それでもSFとかFTだと海外の作品に名作が多いので否応なく翻訳ものの本、ということになる。それで理解しやすい内容だってことは結局翻訳者の方が上手いんだろうな、と思うのだ。

30年以上昔の話だけど、つきあい始めたばかりの文庫本の中にわりと若い人向きの物語があった。その作品がね、どうも翻訳があまり上手くない人の文章らしく、読みづらいことこのうえない。私はあまり途中で本を投げ出すことはないんだけど、その時は読みづらさに頭にきて、途中でほっぽりだしてしまった。どうにも頭にくるタイプのキャラが出ていた、という理由と相まって、その後その本には手を出さずじまいになった。

たまたま今朝の新聞に「本を読んでいると登場人物に腹を立てて、途中までで読めなくなってしまうことが多い」ということを言っていた人がいた。まだ20代。確かに若ければ腹が立つことも多いのかなあ、と納得できるけど。私にもそういう時があったよなあ、と思うのと同時に、いままでに愛読してきた翻訳ものの本に関して、翻訳者の人の努力を再認識したりするのだった。

ただ単に訳せばいいだけじゃなくて、文章として原作の持ち味を生かしつつ、優れた日本語に置き換えていく作業にはかなりの読解力と文章作成能力が必要だと思うのね。でないと途中で投げ出すような本になってしまう。もしくは自動翻訳のように笑える日本語になりかねないし(笑)

いまごろになって改めて能力のある翻訳者の方々に感謝すると共に敬意を払ってしまったりするのだった。

名作に名訳をどうもありがとうございます。

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