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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

阿修羅に恋して

ホームページのファイルをMOディスクにコピーして提出して、ひとまずは一区切り。あとはもしかしたら修正とかあるかもしれないが、まあ、とにかく今日は一息ついている。やっぱり首がちょっと痛いかなあ(汗)

このごろお酒を美味しいと思わなくなったので、こういう時には甘いものを。シュークリームなど食べてしばし至福を味わう。女性が甘いものを好きだっていうのは、そういう生理があるのかなあ。考えるとちょっと不思議。

Web拍手ありがとうございます。>春音さん、おかげさまで今回は一段落しました。でもまたこれからもぽつぽつとお仕事はありそうで、そういうのもやっていけたらいいなあ、と思っています。

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京都市内に在校する児童、生徒にとって、奈良近辺は遠足のコースになっていた。手近な歴史資料に触れる場所でもあるので、私も例外でなく、奈良公園を初めとして、斑鳩、明日香、天理、樫原などなど、ずいぶんあちこちを訪れる機会を持った。おまけに町内会のレクリエーションなどでも奈良は手近な場所だったし。

そういうなりゆきなので、最初に彼に出会ったのがいつだったか、実ははっきりと記憶していない。ただ、ふと気がつけば、彼は数ある奈良の仏像の中でもひときわ輝く存在になっていた。

彼、とは奈良、興福寺の阿修羅像である。

少年とも少女ともつかぬ、しなやかな肢体と真摯な表情を持つ希有な仏像。その前に立つ人たちの心を捕らえてやまぬ魅力の像。

少なからず、感応力を持つ人たちは、彼の前に立って平常心ではいられなくなる。「なぜ」と詰問する視線に自らの求める心を重ねてしまう。絶対者に対しての問い、美に関しての問い、道を求める問い。それらすべてが彼の中に内在している。

男性ならば、そこに少女を見るのだろうか。女性ならば、少年を見るのだろうか。鮮やかな両性具有の具現。

彼に惹かれた人たちが、数しれぬ多くの物語を描いてきた。

もっとも有名なところでは光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」があるだろうか。かの作品を初めて読んだのは高校1年の夏だった。読後の余韻はその夏休みの間じゅう、私の中で揺れ続けた。

この作品はその後萩尾望都さんの手で見事に漫画化されて、より多くの読者を得、新しい命をも得た。

それからさらに数えてみると少なくはない、阿修羅像の作者を思い描いた創作の数々。それぞれの作者に独自の解釈の余地を与えつつ、変わらずに存在している阿修羅像。

その永い命を想う。これほどまでにも永く、ひとに焦がれる魅力を与え得た像の作者の希有な才能を想う。ものを創るひとならば、どれほどそれを渇望するだろうか。

「ともだち」で書いていた友人と私も彼に恋をして、そこから独自のキャラクターを生んだ経緯がある。友人の場合はSF世界のキャラクターとして、私の場合はそれもやはりタケルの像の中に微妙に反映して息づいている。創造の蜜月を甘受した、若く激しかった想いの日々。

おそらくはいまも彼を母体とした物語は生まれ続けているだろう。私も最近、そういう本をひとつ見つけたので、近いうちに読むことがかなうと思っている。

その恋はどういうかたちで結実するのだろうか。同じ想いを抱いたに違いない作者の人と、同士のような感覚を抱いてしまうこのごろである。

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