なにやら今日は朝からばたばたしているなあ。弟が家族割のサービスを利用したいということで、突然に私も携帯を持つことになった。いつかはいるかなあ、と思ってはいたけれど、こんなに早くとは思わなかった。なにやら契約をすると無料でもらえる機種らしいので、カメラとかはついていないかも。初期設定は全部やってくれるというので、そのものはまだ弟が持っている。私はゆっくりマニュアル見て覚えればいいかなあ、という感じ。いまどきいままで携帯を持っていなかった方が珍しいと思うんだけど、ひきこもり生活だとあんまり必要無かったし。さしあたっては母と私の共有の携帯になりそうだ。公衆電話捜すのも大変だから、それは便利かも~。
で、今日はDOCOMOのショップに行ってから、お絵描き。なんとかペン画までは出来たかなあ、というところ。まあ、あとはぼちぼちですね。
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このあいだからちょこちょこ書いていた話題だけれど、キャラクターの色っぽさについてまた考えてみる。
これは役者さんのキャラクターが影響しない部分だから、やはり小説とか、漫画とかアニメとかに限定されるかもしれないけれど…。
私は少年期の揺れる心などにも色っぽさを感じる、と言っているけれど、この年代の両性具有的なものにも惹かれていたりする。
こういうキャラに初めて出会って、そういう認識を持ったのはやはり手塚治虫さんの作品だろうか。
小学生の頃に「リボンの騎士」のアニメなどを見ていて、また「火の鳥」なんかを読んで、そこに出てくるキャラクターに惹かれていた記憶がある。男の心を持った少女、サファイアとか、「火の鳥」の未来編に出てくるタマミという少女やいろいろな作品に頻繁に登場するロックとか。みんな微妙な年齢で揺れる心を持っていたりしたんだよね。
で、また手塚さんの絵には独特の色気があったし。あれってなんだろう。小学生が感じることだから、決して生々しいものではなかったのだけれど、どこか生身を感じさせる、やはり「ドキッとさせるキャラクター」があの頃の手塚作品には一杯いたんだよなあ。
そののち私はちょっと少年漫画に親しんだ時期があるんだけど、その時も惹かれるキャラクターは「サイボーグ009」のジョウだったり「カムイ外伝」のカムイだったりした。少年漫画の主人公とはいえ、彼等にはどこか両性具有の甘いイメージがあったと思う。カムイなんて術の中で女装もしていたし。決して女々しいキャラクターではないんだけど、彼等が悩んだりしていると、当時の乙女心はかなりときめいていた。
少年にも少女にもどちらにも見えそうな外見と、思い悩み、揺れ動く性格の部分と。いまにして思えばそれが私の嗜好の原点みたいだ。少年にも少女にもどちらにも見えかねない、そういう曖昧さって、男らしいとか女らしいとかいうものとはかけ離れていそうなんだけど、なぜだかとても色っぽかったりする。
このあたりの嗜好からすると、みめ麗しい少女がいきなり凛々しい少年に変貌するヤマトタケルなんていうのはあまりにも好みにはまり過ぎていた。惹かれるのは当然だったなあ、と今でも思う(苦笑)
その後に出会う多くの小説やアニメや漫画のキャラクターなども、やはりまずはまってしまうのはそういうキャラクターだったりする。大人になってからは年齢にも相応しく大人の魅力もわかってきたので、好きになるキャラクターのタイプも幅が広がったけれど。
もしかしたら私は自分のどこかに彼等と共感するなにか、…たとえば、あまり大人にはなれない部分をいまだに捨てられずにいるのかもしれない。でもこれってロマンの原点だったりするからなあ。
これから先もどこかが少年と少女の心で彼等と共に歩いて行きたい、と改めて思った。
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(手塚作品のキャラクターの名前などは当時のあやふやな記憶で書いております。確認していないので、間違っていたらごめんね(汗))