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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

Twitterのつぶやきネタから

 

なんか水分代謝が活性化している


よく寝てるんですが、1~2時間おきに目が覚めてトイレに通っています。私が摂る1日の水分量はほぼ一定なんですが、下半身に溜まっている分が排出されてるみたいで、久しぶりに膝下が細い、人並に(^_^;) なんかやっぱり自律神経系の作用のような気がします。

 

でも起きたらまたむくみそう(-_-;)


無重力空間の宇宙飛行士さん達は顔もむくむから、重力がないと全体にむくむんでしょうけど、人間の身体の水分量を思うと脱水にならないようにバランスにも気をつけないと。起きるたびに一口麦茶飲んでます。

 


父が晩年、夜中にトイレに行くのが面倒で、寝る前に水分を控えていたらしく、それで血液が濃くなって、もともとあった心房細動の影響で心臓付近で出来た大きめの血栓が脳に詰まって脳梗塞になったようです。

 

生活習慣で防げる可能性もあったかもしれませんが、いまさら仕方がありません。

やっぱりああいうのも寿命なんだろうな、と諦念に至っております(-_-;)

 

 

 

「運がいい」ということ


「運が強い」というのはどういうことかと考える。「大事故に巻き込まれて、奇跡的に軽症ですんだ」「たまたまそこを離れていて事故に巻き込まれずにすんだ」と両方あるけど、どっちもどっちか。遭遇しなかった方がよりラッキーなのかなあ?

 

宝くじに当たるのはマイナスの運だと聞いたことがあります。だから当たっても結果的に不幸になる人も少なくないらしいですね。そこで当たっても独り占めしないで、いくらか一部を寄附することで変わりそうな気がするけど。

 

痛い経験をして学んでその後の人生に生かすことが出来るから経験はオセロのコマですね。結局はその人次第かな。順風満帆な人生だとなにも学ぶものなく成長しないで終わってしまうしね。

 

うん、やっぱり運というのはその人の生かし方次第なのかもしれない。きっとくじ運だけを望んでも駄目だな(-_-;)

 

 

みんなそれぞれでいいんだよ

 

私は嫌いだけど参考になる人があるかもしれないしリツイート(^_^;)

 

焼いたのは少しくらい食べるけど、わざわざ鯖寿司の鯖を剥がしてご飯だけ食べるやつだしな…。ごめんね。

 

 

 

 

 

 


24時間テレビが嫌いのなのは偏向しているから。目に見える障害だけにスポットをあてても意味がないと思います。世の中にはもっと多様な障害者がいるんだし。

 

精神障害者は見てもわからないことが多いから、テレビ的には価値がないんだと思う。事件の時に病名だけが報道されて、いつまでも偏見がなくならないし。

 

最初の頃は意義があったんだろうけどねえ、と母の特養でも車を見かけたことがありましたが。

 

 

その人の趣味嗜好はその人のものだから、はたからどうこう言う資格も権利もないと思っています。「私はこれが好きで、これは嫌い」なのと「あなたはこれが好き、でもこちらは嫌い」というのは至極当たり前のことで、多様性でもあるし、自分の「好き嫌い」は尊重して欲しいから他人の「好き嫌い」も同様に尊重します。

 

まれに他人同士でその「好き」が一致すると、楽しみが倍加します。一緒におなじものを楽しめるから (^_^) ファン同志のコアな楽しみですね。そういうのがあると人生楽しいです。

 

別に好き嫌いが一致しないからといって、その人のことが嫌いなわけではありません。価値観なんて本当に人それぞれだから、違って当然だと思いますしね。

 

「うまがあう」という言葉がありますが、そういう相手は大事にしたいなあ、と思います (^_^;) あんまり理屈じゃないですね。

 

 

線画はなんとか出来たような感じです。このあともぼちぼちと…。

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人生の終わり方にも多様な選択肢が欲しい

 

そういえば昨夜ご飯は食べていなかった気がする


昨日もまた夕方に2時間近く寝てしまって、午後10時から寝直したんですが、トータルで7時間睡眠は変わらないなあ、と思いました。変なリズムになっていますが、そのうちまた自然に変化するのでは?と思っています。

 

そして夕方起きた時にアイスクリームだけ食べました。

 

このごろ、私の体質とか病気とかは前に走りたがる私には適度なブレーキの役目を果たしているかなあ、と思います。

 

この方の姿勢を見習いたいなあ、と (^_^;) まあ身体の症状には強制終了を余儀なくされますが (^_^;)

 

 


水曜日に作業療法士さんが「仏壇の照明が点滅してますよ」とご指摘いただいて、うしろを見たら細い蛍光灯がもう端っこ暗くなっていて、翌日マッサージのT先生が「それ前に(多分、数年以上前)にお母さんに頼まれて、確か僕が買ってきましたよね」「あ、そういえばそうだったかも」「お母さん、その時に1000円札くださって『結構高いから受け取って』と言わはりましたよ」「なんかそういうことあったような…。先生、よく覚えてはりますね」と。

 

で、その時に買ったお店で再度買ってきてくださって、「お金はおかあさんに前払いでいただいているので…」と。数年前の母のが有効ですか… (^_^;) ありがとうございます (^_^)

 

母は時々未来に向けてこういうことをしておいてくれます。

 

これ取り付けるんだな。弟に頼めたら頼むけど、私でも出来るかなあ??グローランプの位置がわからない。

 

 

 

 介護と胃ろうと経管栄養について


日本人は極端から極端に走り過ぎ。そこへ同調圧力がかかると目も当てられず。介護にしても週末期医療とかその他のことについても選択肢は多めに残した方がいい。誰かが胃ろうがいいといえば推奨されて、誰かが無駄だと言えば否定される。極端すぎます。

 

正解はその人の数だけあって一つに決められるものではないです。


父が胃ろうにしたのが脳梗塞による嚥下障害で2006年のことでした。父は死を怖がっていたのがわかっていたから、それから3年半くらいかけて徐々に無理なく気持の変化を受け容れて、最期に穏やかに死を受け容れていきました。父も家族も。

 

2006年頃は胃ろうの利用も推奨傾向にありました。


母が胃ろうにしたのは2014年かな。とにかく食べてくれなくて困って褥瘡もひどいから本人に相談したら承諾したもの。母の場合はそれから1年半くらいしか生きなかったけど、ちゃんと話はわかるから生きててくれるだけで良かった。毎週特養に通って顔を見るだけで安心したし。


母の個室で二人で少年隊を踊ったのも忘れるられず(母は動く右手だけで)それで心不全で昨年命尽きたのが寿命の期限だと思います。

 

食べられなくなったらおしまい、というのでもその人の意志ならいいんです。私もそうしたいから。でも家族とのコミュニケーションのために時間が欲しいと言うのを否定しないで欲しいです。

 

他人に迷惑をかけたくないから自殺だとか安楽死だというのももちろん違うと思います。言いたい人は言ってもいいけど、それで傷ついている人がたくさんいることは忘れないで欲しいと思います。

 

 

 

簡単に駄目だとは言わないで欲しい


胃ろうだけを悪者にしないで。選択肢はなるべく残しておいて欲しいと思います。家族は最後の最後までどこかで回復の奇跡を信じています。でないと介護は出来ません。

 

この奇跡の部分がプロのお仕事と家族の違いかもしれない。情が絡む分だけね。


介護する家族は理性や知識とは別の次元で「回復するかもしれない」という一筋の光のような希望を抱いています。どんなに重病でも、認知症でも、その先に起きることを99%諦めていてもわずかに。これは知識とは別次元ですね、やはり。

 

ホントにこの「奇跡を信じる希望」があるから長期にわたっても介護が出来るんです。いくつも起きてくる現実に真剣に悩むけど時間が少しでもあればいいと願ってしまいます。

 


叶わなかったことでもやらないまま諦めるのと、やってみて少しでも本人が楽に過ごせるならやってみて欲しいと願います。

 

「お仕事」として対応してくださる方々はかなり冷静に把握されていると思いますが、やはり決断は本人と家族なんですよね。死を穏やかに受け容れるために希望が必要なんです。

 

矛盾しているようで、矛盾してないんだな、これって。「心を込めてやり尽くした」という満足感の延長に悔いのない死があるのだと思います。

 

生命を尽くすとか、そういうものは大切な実感じゃないかと思います。

 

 

 

進んでません…、寝てたからか… (*-д-)-з

 

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サポートが確実なら迷わず頼るけど

 

Adobe Creative Cloudのエラーというか、不具合

 

昨日の夕方、ちょっとIllstratorで線画を描こうかなあ、と思って立ち上げてみたら、起動はするけど、文字部分が真っ白で強制終了しないと終わらない、というエラーになりまして。

 

これは自力解決は無理だなあ、とAdobeのサポートチャットで電話番号を聞いて、電話サポートを受けることに…。で、それから2時間あまり、ああでもないこうでもないと試して、結局一旦アンインストールして、再度インストールということになって、それで解決したようです。やれやれ (*-д-)-з

 

正直途中でしんどくなったけど、直らないと気になって仕方がないから真面目に対応してました。おかげでさすがに眠くなりませんでしたが (^_^;)

 

自分が苦手で時間がかかりそうなことは割とすぐに専門家に頼ります。電話がかかるまでちょっと待たされましたが、今は遠隔操作などで画面共有しながら出来るから、わかりやすく勉強になります。まあ、なぜか昨日は双方向チャットには出来なかったのですが。

 

 

でもAdobeのサポートはもしかすると初めてかなあ。親切な方でした。Appleのサポートにも何度か電話したことがありますが、ああいう仕事は大変だなあ、と思います。

 

お客さん相手の場合はどんな業種でもクレームがくるから大変でしょうけど。

 

私は多分クレーム対応には向かないと思います。本気で喧嘩しそうだし。困って本気のクレームなのか、八つ当たりっぽい言いがかりなのか、結構わかっちゃうもんで (^_^;)

 

いつもAdobeは昔からのユーザーにサービスが悪いと文句言ってますけどね(^_^;) 対応がいいとちょびっと見直す気分にはなりますね。

 

 

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自力で勝負するのが本当は好き

 

上のような場合は別ですが、なんかね、やっぱり私は直感の人間みたいです。自分で納得するためにあとから論理的分析と、他人に説明するのに、論理的説明がきますけど。自分の中では最短距離で正解に辿り着いてる感がありますね。INFJは「内向直感」だからなあ。

 

外からは複雑な印象があるかもしれませんが、自己解決することが多いから、わかりにくいだけかもしれません。

 

このごろの私は可能なら待つよりも自分で説得に行く方がいいなあ、と思いがちです。

 

公営住宅についても、ただくじ運を待つだけなのは非常にもどかしいですね。自分で勉強して受験するとかの方がよほど気が楽です。受かるにしても落ちるにしても納得の結果が出るし。

 

作業療法士さんと話してて、「ああ、確かに『くじ運がいい人』って何人か浮かびます」と言われたんで「なにかコツみたいなのってありますか?」「うーん、私もくじ運は良くないし (^_^;)」という話になってしまう (^_^;)

 

個人的には自己肯定感を上げる方がよほど簡単だよなあ、と思います。

 

くじ運がいいというのは少なくとも何度か本当に当たった、という根拠というか経験があるからで、それで自分はくじ運がいいぞ、と信じてたらまた当たるかもしれないし。

 

でもなあ、その2、3回当たった自信みたいなものって普通の場合はなかなか持てないんだよね〜。

 

くじ運がよければ解決する懸案というのは本当に宝くじと同じような気がします (ーー;) ホント、それがかなえば悩み解決するのに。

 

 

 

 

 

 

 

スキャンした下絵。A4の紙が足りなくなって、裏からマスキングテープで貼っています (^_^;) で、半分ずつスキャンして合成。

 

サイズはこの段階でB3にしてるけど、まだどうにでもなりますし。あんまり描き込まない背景になるといいなあ、と思いつつ。

 

ぼちぼちやりますね (^_^;)

 

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