お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

本気でやりたいことはいますぐにやろう

 

すいません、今日は短いです。

 

自分のブログの過去記事に励まされて久々の落書き。

 

下絵を取り込んでデジタルで修正と描き足し。ここから先へ行けるかどうかは体力次第ですね。あんまり自信ない。

 

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絵を描くのもかなり体力が必要だと感じます。今、それだけの体力があるかなあ?自信ないなあ(ーー;)

 

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昨日、作業療法士さんと話してて、色鉛筆の話になって「私、色鉛筆画の名手を何人も知ってるけど、色鉛筆で描くのって体力要りませんか?」「まあ、広い面積塗るのとか力もいるよね」「私、手が疲れるのと即刻肩が凝るから色鉛筆好きだけどダメです。塗り絵もデジタルでやりたい。疲れがましだから」

 

ペンタブは力の調整ができるのもあるし、何よりデジタルはやり直しができる、というので、一発勝負の緊張をしなくていいのが楽なんですね。まあ、色鉛筆でも消しゴムは使えますが。

 

昔、色鉛筆とパステルで描いてたことはあるけど、やっぱりデジタルは体力的に楽(^_^;)

 

「画材」という括りなので、私には相性がいい画材みたいです。完成度に差が出るのは基本的な画力の違い(^_^;)

 

Photoshop20年も使ってるけどね(^_^;)

 

 

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昨日も一昨日も買い物に行けず、コンビニに行く弟に適当に買ってきてもらいました。美容院にも行きたいけど、しんどくて駄目だ (ーー;)

 

ヘルパーさんには「すいません、夏はいつもこんなです」と言いつつ、少し横になったり。本当に夏はどうしようもないです、病人になってます(ーー;)

 

仕事から帰って毎日漫画を描いてた若い頃ってやっぱり比較すると元気でしたね。

 

お絵描きに体力云々を考えてしまう現在が信じられない (/_;)

 

みなさん、本気でやりたいことは将来じゃなくて「いま!」今、やるんですよ。「いま」が一番若いんだからね。

 

時間は待ってくれません。

 

 

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おばさんの切実な叫びです(^_^;)

 

 

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ポジティブもネガティブも受け取り方次第 幸せもまた

 

問題は湿度だろうか?


昨日は弟と二人して心身共に最悪だった。だめだな、と思いつつ私が貯めていたデパスも渡したし、私自身も頓服で昼間にに飲んだ。気分最悪(;_;)

 

洗濯は乾かず襖は湿気で膨張する。ふすま紙がめくれて上から貼り直す嵌めになったし。湿度が大敵。お日様ウェルカム〜(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) 

 

給付金がやっと振り込まれたようです。これも晴れた日に自転車でないと郵便局までが遠いです (/_;)

 

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ポジティブもネガティブも受け取り方次第


精神疾患と明確に診断されて気づいたこと。私は意外とポジティブな人間だった!

 

ポジティブでも病むことあるんだ、じゃあ、仕様がねーなあ、とあっさり納得するあたりがポジティブ?ウダウダ長引かせるのが嫌なので、ネガティブなことでもポジティブ変換させる。

 

病気のおかげで深い思考が出来るようになった。ほとんど哲学や宗教に近い方向で。おかげで自分の存在意義もわかるし、それなりに納得人生が送れると思う。他人と比較する必要はない。どんな状況でも私は私でいられると思うし。

 

まあ、芯が強くなりました。レジリエンスもね(^^)

 

ポジティブというのは落ち込まないことではなくて、ネガティブの中でも希望の光を見つけて立ち直りが早いこと、つまりやはりレジリエンスなんだと思う。

 

www.kaonavi.jp

 

私の人生で病気でなかった時って5分の1くらいなので、病気を否定すると人生そのものを否定することになる。だから病気といかに付き合うかが今生のテーマの1つだと思います。人生に正解はないけど、せめて納得解のあるようにはしたい。そのため後悔しない選択を大事にしています。

 

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道のりは全然ちがうのに、不思議

 

 

これって不思議なんですが、イチローさんや羽生さんの言葉のはしばしに深く共感するものがあるのですよ。歩いてきた道や方向は全然違うのに、どうしてわかるんだろう?と思いました。でもわかっちゃうんですよね。孤高の道を選んできた人たちだからか?


過去のことを後悔すること自体ほぼないです。自分が選択したことだから肯定感しか残らない。ある種の清々しさがありますね。


日記ブログに「きっと大丈夫」と記すのは過去の自分への労いと、未来の自分への励まし。

 

ブログを始めた当初、こんな効果があるとは予想もしなかった。まさに長く続けてきたことの最大のプレゼントだよね。過去と未来の自分に贈るものだよね。今年の秋には17年目に入る。できれば死ぬまで書いていたい。

 

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死後も繋がりは切れない親子

 

詠子さんのブログを《うんうん、そのとおりだよね」と思いつつ読んでおりましたら、昨日の記事のコメントに大変うれしいおことばをいただいてしまいました。

 

sanmei-eiko.hatenablog.com

 

sanmei-eiko.hatenablog.com


天中殺に親が亡くなることがあるのは知っていましたが、そういう意味があったんですか。

 

「子供の天中殺で親が亡くなる事は結構あって、
親が本当に大切に想っている子供の禍を
持って行ってくれると言われています。
はるうさぎさんはお父様に深く愛されていたのだと思います♡」

 

…そういう深い愛情が…。いやもう、疑う余地もありませんが、嬉しくて泣いてしまいました。

 

詠子さん、大変嬉しいメッセージをありがとうございました (^_^)

 

 

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過去の自分と語ること 過去の自分に励まされる

 

完璧な宗教なんか求めていないし存在しない

 

 

 

 

 

私は宗教に完璧を求めていないし、既存の宗教も新興的な宗教もやはり完全ではないので、特定のものに執着も帰依もできません。

 

ただ、たまにお坊さんに相談するのは、東日本大震災をきっかけに死者の供養よりも生者の苦悩に先にあたるべきではないかという活動をされている方々だからですね。

 

まあ、ですから仏教というよりも、個人的に答えてくださる方が多いです。まあ、それでもいいんですが。仏教やキリスト教はこういう問いかけが可能ですが、神道の神様はそうじゃないよなあ。やり取りができる人も多くないよなあ、と思います。「感じろや」という空気が結構ありそうな気がする(^_^;)

 

すいません。ちょっと別キャラが出ているのか、ここ2、3日やや言葉が乱暴になっております(ーー;)

 

あ、ちなみにそこは「hasunoha」というサイトです。

 

hasunoha.jp

 

うっかり相談を読んじゃうと頭にくることも少なくないので私はあまり読まないようにしています。まあ、相談者によってそれぞれ深刻なものがあるのでしょうし…。

 

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過去の自分に尋ねてみる


時間があれば横になり、横になれば寝てしまうパターンがやはり続いています。どれだけ寝れば疲労が取れるんだろう??

 

ふと2年前、母が亡くなった時の記事を見ていたら。やっぱり現在と大差ないことを嘆いております(ーー;)

 

ちょうど2年前の今日だわ。やっぱりバーンアウトだと言っている。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

それでも立ち直れたんだから、今回もきっと立ち直れるよね??自分に問いかける。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

これを見たら九月にはぼちぼちお絵描きを始めてるな。だとしたら、夏が過ぎれば復活しやすいタイミングがくるかもしれない。やっぱり自分のパターンが一番あてに出来そうです(^_^;) 

 

こうやって過去の自分にまた励まされるんだよね〜(^_^;) 書いておいてよかったなあ。

 

お絵描きに戻るまではあれこれとグッズを作ったりしています。まあ、これも私のパターンかもしれません。

 

 

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母の憑依の時期を共に過ごした記憶は宝物


そういえば母の死後の話で、ここいら辺に書いてたと思いますが、どうも母の魂が私に憑依していたと思われるふしがありました。普段そんなにフルーツを食べない私が、やたらフルーツ(柑橘系)を食べたくなって、毎日のように買って食べていたことがありました。

 

その数日でもう私は気づいていて、ああ、母だなあ、と思っていました。母も結局は胃ろうになったので、最後は好きなフルーツを食べられなくて、すごく欲しいと思ってたんだと思います。私らがあまり食べないから、みかんでも箱で買って手が黄色くなるまで1人で食べてましたから。。

 

この季節、冬みかんじゃなくて大きめの柑橘類でしたけど。夏みかんとか伊予柑とか。

 

私ももう好きなだけ食べていいよ、と思ってました(^_^;) まあ、私の身体でも貸してあげようと。で、美味しかったです。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

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亡くなって日にちがあまり経たない頃は家の中に気配が濃厚に漂っています。ああ、いまそこにいるなあ、とわかる。

 

父もそうでしたが、あの「49日」って不思議なんですけど、どうもあの49日あたりが区切りみたいですね。柑橘食べたい、という私の要求も無くなって、あれだけ濃かった気配も消えました。

 

ああ、母も満足して逝っちゃったんだなあ、と痛感しました。肉体の死別より、実はこちらの別離の方がこたえました。反面、無事に逝ってくれたなあ、と安堵もしたんですが。

 


こういうことって他の人にもあるのかなあ?と検索して見たら、いくつかの事例を見つけました。肉親の魂が憑依したとしか考えられないような嗜好や行動の変化ってあるんですねー。面白いです。

 

死者と家族が名残惜しいことを思い残したことを叶えることで表現して、それが充たされることで魂の別れが準備できるみたいな感じ。

 

あらゆる宗教を超越したこの感じが私にはとてもしっくりします。なんたって自分が体験したから(^_^;) 実感してしまうと不思議でなくなることが不思議(^_^;) 私の過敏さはこういう時のためにあるのかも、としか思えません(^_^;)

 

今でも美味しそうな柑橘見つけたらお供えしていますが、あんまり来ないね、最近。たまにお茶は飲んでるみたい。湯飲みにそういうあとが残ってるから。

 

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見えないけど大事なこと


私は本当に「見えない人」なので、普通の人よりも過敏な体質で、全身と五感で感じるものが一番正直だと思っています。霊感というよりも直感の延長みたいな感じですね。

 

上手く説明出来ないけど「直感」というのは自分のそれまでの全部の経験や学んだことやもしかしたら無意識にもアクセスしてスパコンよりも速く脳が判断するようなシステムらしい。だから間違わない。

 

私はよく直感で判断する。後でじっくり裏付けを取ってもやはり直感は間違わないです。訓練でより冴えるものだし。

 

「なんとなく…」は凄く大事。

 

そして私の場合は絵のイメージも天から降りてくる感じが強いです。だからやっぱりその時を待たないとダメみたいです。

 

人の魂が蝶の形になる、というのも本当でした(^-^) 両親ともに確認しています。

 

 

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