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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

在宅介護で親に手をあげてしまうことって私もあった

 

ブログのカスタマイズ FC2のもいっぱい未使用だわ

 


そろそろお盆なので、鬼灯の仕様にしてみました。だいたい秋から冬あたりまでヘッダのバリエーションがあります(^_^;) 気分転換しているうちに増えちゃった。グラデも40種類近くになっていますが、これもまた必要に応じて増えるかもしれません。

 

デザインのカスタマイズは飽きないために工夫でもあります。FC2のデザインもいっぱい作って使わないままのが山ほど残ってるんですが、ご希望の方がいらしたらCSSをお譲りしますよ(^_^;) 

 

…いや、その表現はおかしいな。もとのCSSを作ってくださった方のところからダウンロードして、それを置き換えてくだされば、という感じです。使用している画像はサイトで借りているサーバの方に置いてありますし…。

 

多分、100種類近くあります。

 

遊びつつ学ぶのがベストなんで、カスタマイズは貴重なお遊びです(^_^;) ご希望の方がいらしたらメールフォームからどうぞ(^_^;) ←これも新しくしました。

 

 

 

もともと隙間があるように設計されてると思う

 


このあいだ、棚が落ちて右往左往していた本棚ですが、昨日やっとカット木材が届いて形になりました。本でパズルやってるみたいな感じですね(^_^;)

 

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赤い枠の部分がカットをお願いした木材。20センチ×19.7センチ、厚さ16ミリが2枚。岩手県からのゆうパックで送料込み1700円ちょっと。…でもこの暑さの中でホームセンターまで行く気力はありませんし〜 (T-T)

 

青い枠の部分に使ったのは組み立て式のプラの簡易棚です。使わない時は分解可能で、好きな段数に出来るからとても便利。強度はどうかな?と思いますが、斜め後ろにも同じものを入れているので、多少はいけるんじゃないかなあ、と思いました。

 

ダボはまったくあてにしていません。文庫本は後ろにしまったので。コミックラックみたいに見えますが…。

 

 

でもよくわかりました。家具の専門店で買った本棚、私はニトリで買ったものをお店から運んでもらったんですが、もうちゃんと組み立てる必要がないようにしたものは、やっぱり丈夫で綺麗に出来ています。

 

自分で組み立てるタイプの棚は棚板がみな少し短めになっているようです。推測するに、長すぎると、お客さんがカンナとかやすりとかで削るのが大変だからだと思います。そのぶん、遊びの隙間の余裕がありすぎるんですよね。よくわかった。だから重さで余計に短くなったり落ちたりするんだな。丈夫なニトリの棚と比較するとよくわかります。

 

決して手を抜いて作っているわけではありません。でももともと隙間がありすぎる傾向にあるものだとは胆に銘じておく方がいいんだと思います (^_^;) 組み立てたスライド書棚にもこの傾向はあります。

 

たくさん本を収納するかたには、丈夫さをご希望の場合は組み立てなくてもいい完成品をおすすめします (^_^;)

 

 

 

 

要介護の親に手をあげる子は家族失格か

 

president.jp

 

結論から言うと「失格ではありません。誰でも思い当たることだから」

 

私が母の在宅介護をしていたのは2013年の10月から2015年の4月までの1年半でしたが、介護だけじゃなくて他にもいろいろありすぎて(母の入院とか私の交通事故とかネズミとダニの騒動とか、蜂窩織炎とか、ものすごいいろいろ…)眼がまわったことしか覚えてないくらいです。

 

でも私も在宅介護中に一度だけ母のほっぺた叩いたことがあります。食べてくれないし、ものは投げるし、真夜中に起こすし…。母はわりとしゃべったほうだったかな。叩いた理由は忘れました。口げんかだったかもしれません。

 

私はわりとなんでも関係者に相談する方でしたので、このときもケアマネさんと訪問看護師さんに相談したと思います。これはやはり言っておかないと「そういうことがあった」という介護者の気持ちとか、現状がわからないからですね。いい人ぶらない方がいいのです。

 

私はあんまり弱音を隠さないほうだと思います。大丈夫だと確信があることはそんなに話しませんが、自信がないことは専門家に相談した方が早いし意見がたくさんもらえるし、判断する上でとても楽になるからですね。

 

在宅介護はあのまま続けていたらどうなるかわからない不安があったので、1年半でギブアップしました。

 

特養申し込みの書類を出してもらって、お呼びがかかるまでに半年ですから、1年経たないうちに悩んでたんだと思います。だって他にもいろいろありすぎたし… (^_^;) 自分が病気だということも諦めやすい判断基準になりました。

 

ここでなまじ元気な人だったら、無理して在宅介護を続けてしまう可能性もありますよね。そうすると無理をしすぎる心配があります。

 

「一度叩いてしまった」のが2度目になって3度目になって、いつものことになってしまうと本当の虐待になってしまいますし…。

 


そういう限界にもものすごい個人差はあるよね。自分でそれが見極められるといいのですが。

 

私の場合はケアマネさんへの早朝メールでした。それも何度もあった。早朝が一番調子が悪い時間帯なので、「もう無理だわ」と思ってケアマネさんに「特養の申し込みをお願いします」とメールするんですね。でも時間が経つとやや気が変わって「やっぱりもうちょっと待って」とメールして止めて。

 

それを何度もやったので、ケアマネさんには「恭子さんからの早朝メールは慌てて返事しないで様子見してます」と言われました (^_^;)

 

私の場合はやはり早朝覚醒は警告サインなのかもしれません。そういう限界を自分で見極めるか、もしくは身近な人に判断してもらうか、どちらにしても「強がらない、無理しない、気軽に相談する」ことはとても大事だと思います。介護を悲劇にしないために。

 

 

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「大丈夫。なんとかなる」

 

肉体的には老化が進んでいるような… (ーー;)

 


あー、なんだかやっぱり老眼がひどくなったのかもしれません。モニタから離れた方が見やすい、ってことはそうだよね…。

 

私はもともと近視と乱視もあるから、非常にややこしいのですが、やっぱり目も疲れやすい気はします。

 

一昨日、作業療法士さんに、「スマホにしませんか?」という広告がよく来る、とぼやいていたら、私はこの年齢にしてはIT機器をよく使いこなす方だと言われました。まあ、機器といってもパソコンとタブレットKindle paperwhite くらいのものですし…。でもMacは仕事で20数年前からずっと使っていたからその続きで不思議ではないんですが…。
その時期に主婦とかお仕事の種類でPCに縁がなかった場合はとっつきづらさがあるかもしれないなあ、とは思いました。

 

でもさ、私はあんまり外出しませんよね。だからガラケーMacタブレットがあれば、スマホも必要ないんだよね。地図は覚えるか、誰かに聞けばいいし。使い方教室なんかいらないから、料金を安くしてくれれば考える (ーー;) それに尽きます。

 

ガラケーでも不要な機能が多すぎると思うのに。いっそのことキッズケータイでもいいくらいだな。

 

 


「大丈夫。なんとかなる」

 


…どこかのお坊さんが言いそうな言葉ですが…。

 

私の中には現在この言葉が存在しているのです。どこから来たんだろう?根拠のない自信に似たこれはなんだろう?と不思議に思いました。

 

私はそもそも高2の時からパニック発作に悩まされていました。その頃は精神科には通院していなくて、近所の内科で安定剤みたいなものをもらっていましたが…。

 

でもずっと目に見える精神安定剤を探していて、私の場合はそれが「家族」だったのですね。外部だと「病院関係」なにが起きてもなんとかなる、という意味での安心感を求めたら、そのふたつに行き着いた次第です。

 

そこから行動範囲を拡げていきました。小児科医院に就職しましたし、家族といっしょなら、旅行にも行ったし、飛行機にも乗れました。ひとりでは無理なこともそれらがあると出来たんですよね。もちろん、発作は起きましたが、「なんとかなる」精神で本当になんとかなったんですよ (^_^;)

 

それでも30年以上パニック発作との闘いは続きました。それでも2、3歳くらいだった姪が一緒でも「この子に危ないことをさせてはいけない」方向に注意を向けるようになって、それで次第にコツが呑み込めたんですね。自分の症状や状態に意識を向けすぎないこと。

 

その後の十年余りで、両親と弟と合計で十数回救急車の付き添いで走ったおかげで、「自分のことに意識を向けない」ことに磨きがかかりました (^_^;) …で、おかげさまでいつのまにかパニック障害を克服していた次第です。

 

 


パニック克服と同時に得たもの

 


長くかかりましたが、振り返ると、その「大丈夫、なんとかなる」というのをお腹で理解するのに必要な体験と歳月だったのかもなあ、と思います。頭だけの理解じゃなくて、身体がしっかり覚えて不要な反応をしなくなるまで。

 

「予期不安」というのは「まだ起きていないこと」に対する不安なので、それがもし起きたとしても「大丈夫、なんとかなる」と思えるようになると強いですよ (^_^;) これを全身と頭と魂で理解するために30年以上の年月が必要だったのかもなあ…。

 

人生に無駄な経験はひとつもありませんね (^_^) まあ、そういう自分の体験にもとづく心のありかたみたいなものを折々に書いてはいますけど、読んでくださる方もやはり頭だけの理解だと効果がないと思います。

 

「腑に落ちた」時に見える世界ががらっと変わるんですよね。そこに至るまでには結構辛い体験もありますが、でも抜け出せたら新世界があるんです。

 

あー、でも私はパニックから抜け出すと共に「大丈夫、なんとかなる」と信条にしてしまったふしがありまして… (^_^;) …まあ、実際にこれまで本当になんとかなってきたからなんですけど、この先もなんとかなるのでは?と思ってはおります。

 

あまり余計な不安とか心配とかしなくなったみたいです。むしろ「これは大丈夫」と直感したことはほぼ現実になるような確信があります。

 

普通に健康で順調にきた人よりはかなり多くのマイナス要素の多い人生を過ごしてきましたが、それらすべてから得られるものがあるような気がします。すごいいい勉強になってるから、だから悪くないと思うんですよね。なにしろ無駄がないので、いつかはそれらが結実するのが楽しみだと思っています (^_^;)

 

 

ちょびっと仙人ぽい? それがさ、現実的な欲求、たとえばお金に関することとかがどんどん薄れていっていて、逆に困っていたりはするんです。物質的な執着も昔よりは薄れていますね。なにしろモノがあっても「持って死ねない」っていうのはすごくわかってしまってるんで…。伊達に両親を看取ったわけじゃないかもしれません。

 

人生の行き着く果てを見ちゃうと「つまんない物欲」とか思っちゃって駄目です。本当に執着心がなくて、まだ生きるのにお金が必要なのはわかっていてもね〜 (*-д-)-з 

 

 

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幸せの青い鳥はそこの窓辺に留まっている

 

うーん…耳も眼もなんだか不具合が… (ーー;)


なんだか細かい不調が続いていて、左の耳は首を動かした時に「ポン」という音がしたりしますし、昨日は電子体温計に音が聴こえなかったので、また要注意で、場合によっては耳鼻科に行かないといけないかもしれません(もうお盆休みだよね)。せっかくマシになっていた難聴なのに、温度差アレルギーの鼻炎が原因なら防ぎようがなくて悔しいです (ーー;)

 

実は現在モニタの画面もかなりぼやけています。昨日頭痛でバファリン飲んだから、眼精疲労か、後頭部の凝りかなあ…?ちょうど今日はマッサージの日ですが、自分でも後頭部のマッサージをしてみたりしています。

 

ホントに母の死後にこういう老化のあれこれがどっと出てきたような…?他の部分でもあちこちで肉体的な老化現象を感じます。やーね (ーー;)

 

 


自分だけの内面会話では気付けないこと

 


昨日は作業療法士さんとお話して、お電話くださったKさんともお話して、非常に有意義な時間を過ごすことが出来ました。おかげで昨夜は8時間くらい爆睡状態でした (^_^;)

 

普段は自分の内部との対話が当たり前になっていますが、他の方と会話すると、それが新しい発見になったり、深めるきっかけになったり、気付きになったりして、私のような内向的な思考をするタイプの人間にとってはとてもいい刺激になるのですね。これは一人の思考だと得られないことだと思っております。

 

作業療法士さんや訪問看護師さんも、よく「勉強になりました (^_^)」と言って帰られます。私も勉強になったんですけど、やはりこういうことは「おたがいさま」なんですね〜 (^_^;)

 

 


ギフトかもしれない

 

それで昨日、思ったこと。

 

もしも持って生まれた才能のようなもの、「ギフト」と言っていいのかもしれませんが、私の場合、それの最大のものが「自分と他人を比べないこと」かもしれないと思いました。

 

生まれて初めて、自分と同じ年頃の子の中に入るのが、私の場合は幼稚園だったんですけど、そのクラスの中に入ってみて、初めて「他の子との共通点」以上に「他の子と違う自分」をたくさん発見しました。その段階で「他の子と同じにしたい」じゃなくて「自分がやりたいようにやりたい」が勝る子でしたので、もういきなり集団生活は苦手、だと悟ってしまいましたよ (^_^;)

 

だから全員でもお遊戯とか大嫌いで逃げ回っていて、大抵はお絵描きしているか本を読んでいる子供でした。いまと同じだな (^_^;)

 

集団の中に入って初めて「変えられない私」と認識したのだと思います。それはその後成長しても、現在に至るまでずっと変わっていません。その意味ではあんまり無理をしていないですね。

 

幼児期はしばしば入院を余儀なくされましたが、痛い注射とか治療以外の時ではやはりお絵描きしていて、友達のお母さんがお見舞いにくださった本を読んでいました。(幼稚園だけど、「恭子ちゃんだったらこれくらい読めるでしょう」と小学生向き以上の本ばかりいただいていました)

 

とにかくそれから現在に至るまで「弱い子供」ではあったので、進学するとか就職するとかが他の子たちと同じように決してスムーズに行ったわけではありませんでした。

 

でも、スムーズにいかなくても、本質的にやりたいことが「創作活動」でしたし、他の人のように元気に順調にコマを進めることが出来なくても落ち込まなかったんですよね。この段階ですでに「他人と自分を比べない」のは当然の意識になっていました。

 

だからつまづきだらけの人生ではありますが、いつも私は基本的に絶望したり諦めたりはしませんでした。自分が本当にやりたいことがわかっていたからかな。

 

自分の「本当」を尊重出来ると、他の人の「価値観」も尊重出来るようになります。でもはたから見ていて、その人の意識している価値観と本音とにズレがあるとしんどいだろうな、とわかってしまうわけです。

 

 

 

同じようなことを考えている人がいる

 

なんとなく検索したら、こういう記事にぶつかりました。

 

prado-therapy.com


ああ、なるほど、私もどちらかというと「見えない部分」にフォーカスしていて、そちらに重点を置いているから、他の人のことも「見えない部分」を感じとろうとするし、見える部分のあれこれにはあんまり意識しないわけですね。

 

使命と価値と信念に心を込めて…そのとおりだな。そういうなにげない毎日の中に多くの幸せを感じることがあるのです。だから私は自分が不幸だと思ったことがないのです。


名越先生のこの記事も参考になるかもしれませんね。

 

townwork.net

 

幸せの青い鳥はすぐそばにいる。かつて読んだ童話の真の意味がわかるほどには大人になりました (^_^)

 

 

あおいとり (いわさきちひろ・名作えほん)

あおいとり (いわさきちひろ・名作えほん)

 

 

 

Kさん、くれぐれもお身体大切になさってくださいませ (^_^;)

 

 

 

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