お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

子供時代の「怖いもの」を卒業した時

 

かなりの部分、芸術だと思える

 

一夜明けたら無良提督のファンアートが増えていて、なんとなく嬉しい。正直、私は艦これってよく知らないんですが、要するに無良くんのファンが老若男女を問わずにどーっと増えた、ということと、伊藤みどりさんの存在感は半端じゃなかった、というスケート畑の話題はそれなりに理解しました (^_^;)

 

私はほとんどのスポーツに関心がないのは自分の運動神経のなさと、それにまつわる学校時代の体育の授業の恨みみたいなものと関係が深いと思っています。

 

やっぱりさ、子供のころに「身体を動かす楽しさ」を理解していれば、それって生涯続くと思うんだよね。残念ながらいまの体育の授業は「楽しさを教える」どころか「嫌いになる子を作ってる」気しかしませんし… (ーー;)

 

 

 

その私がただ単に「氷の上に立つだけ」「氷の上を歩くだけ」で楽しい、というのを初めて知ったのがスケートなのです。小学生の高学年くらいかな? 

 

で、見るのも楽しくなりました。それには「魅せる」という芸術的な表現要素が大きく関係していたのも事実ですね。ドラマ性とかどこまで多くのものを伝えられるんだろう、ということに感動して、以来ずっと興味を抱いてきたわけです。佐野稔さんの時代から (^_^;)

 

その芸術性を支えるのが高度な技術だと羽生さんも言ってるし。確かな技術と表現力と。そのへんは芸術に対する感性で見れるから好き (^_^) ジャンプの種類はいまいちわからなくてもちゃんと感動するし…。

 

うーん…。北京五輪の時だけテレビレンタル(そんなのあるのか?)したい気持ちになっています (^_^;)

 

 

漢字は時々絵に見える


昨日突然思い出した話。

 

私にも子供のころに怖いものがありました。

 

そのひとつがどこかの高僧が書かれたという毛筆の額で、うちの居間の長押に飾ってあったのですが、「寛容」と書かれたこの文字が、うまく再現も出来ないし、ましてやフォントで表現するのも無理なのですが、楷書体で書かれた「」の文字が顔にしか見えなくて、怖くて逃げて隠れていた記憶があります。だってさ、ヒゲのある顔に見えませんか??

 

f:id:haruusagi_kyo:20180717083545j:plain

 

 

いまでも筆文字の漢字は時々絵に見えるんですよね。ネットの顔文字なんかも確実にこの見立ての血を引いてると思うんですが、まあ、漢字のなりたちを思うと納得しやすいですね。ただし、本来の成り立ちと全然違うように見えたりするのが面白いです。

 

"”←これもどこかで話題になってたけど、困った顔に見えるなあ。どことなく「容」に似ている。八と口があればなんとなく顔認識するのが人の脳かもしれませんね。眼と口の位置にあれば顔に見えるらしいですし。

 


で、この額、いまの家に引っ越してしばらく飾ってありましたが、いつのまにか処分されていました。

 

でもいまでも「容」は顔に見えます、きっぱり。脳がそう認識してしまうから仕様がないです。ただ怖いとは思わないだけですね (^_^;)

 

 

あの声が怖い

 

もうひとつ、どうしてだけ理由がわからないけど、怖かったもの。

 

京都だから、わりとしばしばお坊さんが托鉢行に来られます。

 

その時の「おおー…」という声、私はなぜかあれが怖かったのです。布団の中にもぐってました。「あんたがちょっとでも言うこときかへん時に『おおーの坊さん、来はるえ』と言うたらすぐに言うこと聞いた」と祖母が言っていました。

 

 


福井)「ほぉー」托鉢僧が寒修行 小浜・発心寺で始まる

 

あの声の何が怖かったのか、自分でもまったく意味不明です。自分が想像したものに怖れを抱いていたのかもしれませんが、当時住んでいた家とその近所に置いてきたものに、現実か空想か判別出来ない記憶があります。あとで大人に尋ねても大人は覚えてないのですよね。子供の目線だから気が付くのかどうか…?

 

いまとなっては確認の仕様がない50年以上昔の話です。当時の家のあった場所に行くとかなりタイムスリップ気分。(これはストリートビューでもそうですが)

 

やっぱり子供時代の私がなにを怖がっていたのかはわからないままです。ちょっともやもや。
自己分析が癖になっている人間のもやもや感かなあ… (ーー;)

 

いま現在はあまり怖いものはないような気がします。

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20180717083451j:plain

 

 

 

 

 

「まあ、そういうこともあるね」…生き方がお手本

 

あれってもしかすると仏壇のカスタマイズ?


昨日の記事、私には普通の日記なんですが、後から思うと、仏壇のカスタマイズ記事みたいなの載せてどうするよ?そういうことするの私くらいだよね〜。でもまあええやん。私には備忘録なんだし、と開き直りましたが…。

 

つくづく自分の家では至極当たり前のことがよそのお宅では当たり前じゃなかったりするんだなあ…とは思いました。みなさん、あんまり生死や病気のことについて考えたりしないのかなあ?…それっていまだに不思議です。

 

どうかするとタブー視されてるし。病気とか死とか、人間にとって当たり前のことが普通に話題にされないっていうのがすごく不思議で仕方がないんですね。自己肯定感とか、そういうものではないと思うし…。

 

 

 

ちょっと違ったものが見える子

 

うちの姪っ子はちょっと違ったものを見る子でした。

 

まだ2、3歳の時、母方の実家に里帰りしていて、山の中のお墓参りに行くと、にこにこして「わあ、人がいっぱいいるね」と言ったそうです。もちろん墓参に行った家族以外に誰もいないお墓。なにより山の中だからお盆だけど人がいない。だけども姪は「人がたくさん」だと言うし。「まあ、お盆だからね」とさりげなく言った義妹。

 

「いやー、あの時目茶苦茶怖かったよ。けど大人が落ち着かないと駄目だと思って…」とこちらに戻ってからその話を聞きました。…そうです。その対処法は正解だと思います。

 

その姪が中学生の頃、なにかの用事で階下に降りてきて、父と母と私のいる部屋から隣の仏壇の部屋を見て「わっ、いま仏壇から白い人が出てきた」と言いました。

 

「うちの仏壇やから、ご先祖さんか家族しか来ないよ、きっと。心配いらんよ」と私。「そやね、まあお彼岸やからね」と母。

 

みんながこんな調子なので、ちょっと変わった言葉を聞いても怪談にもなにもならないのでした。ちょっとくらい珍しいことがあっても「まあ、そういううちやからね (^_^;)」で終始する次第。

 

母も子供時代から若い頃はちょっとずれた層を見ていたような部分がありまして、よくその話を聞いてましたが、そういうものかな、と納得していたし。結婚してそれが落ち着いたというのはよかったんじゃないの〜、とも思いました。

 

母も我々と同じ遺伝子を持っていたら双極性障害っぽいところもありましたしね。多分元気だったのは20代までと60代の10年間だけじゃないのかなあ…。

 

まあ、私的に仏壇は簡易的に宗教と無関係などこでもドアだという認識は変わりませんが。

 

 

 

なんでも一応そのまま受け入れる??


面白いと思うのはうちの家族はそういう話を誰も否定しないということですね。見えざるものが見えても怖がりもせず、否定もせずに「まあ、そういうこともあるし」になってしまう。

 

そういう話と並行して、生と死や病気についてもごく日常的に語られていましたし…。私はそういう家で生まれ育ったので、それが普通だと思っていました。

 

両親も決して頑強な体質ではなかったので、些細な不調はしばしば訴えていました。群発性頭痛とかは父の持病でしたし、母は心不全で亡くなっただけに30代から心臓の不調を訴えていました。

 

苦痛も悩みもありましたが、だから「死んだ方がまし」とは両親は一度も言いませんでした。

 

だからどういう病気とでもむやみに闘ったり否定したりするのではなく、それらと上手くつきあっていくのがいい、ということも両親の日常のあり方から学びました。

 

私も幼少時、何度も入院を繰り返しましたが、それがハンデに思えるようなことはやはり両親ともに言いませんでした。でも本当に懸命に看病はしてくれました。

 

あの当時、リンゲル注射を点滴じゃなくて、太股に筋肉注射してもらったりするわけですが、やはり吸収が良くないのですね。両親は蒸しタオルで二人して太股を温めながらマッサージしてくれていました。かなりの長い時間。

 

私は朦朧としながら最後は意識をなくしていましたが、懸命な父と母のことは忘れません。

 

多分、両親の存在と(死後になっても)生き方がなによりも強い希死念慮のストッパーになっていると実感しています。

 

両親が具体的になにかを言ったわけではないんです。でも二人して自分たちの生き方で教えてくれました。だから自分の生命も大事にしないとね、と思います。

 

 

そういうすべての延長に両親を看とるという大切な行いが存在するわけですね (^_^) 生も死も病気も介護も全部ひとつながりの人生。

 

「まあ、そういうこともあるわなあ…」と両親に言われた気がします (^_^;)

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715213313j:plain

 

 

 

 

 

保存保存

お仏壇片付いた!

 

 

やった!やったよ!と自慢するようなことではないですが、この間からずーっと心にかかっていたことなので、なんとかやり遂げたかなあ、というのは大きいです。

 

元は祖母が購入した日蓮宗のお仏壇ですが、もう感覚的には「どこでもドア」なので、そういう感じにしてしまおうと、お仏壇のリニューアルみたいな…。性根を抜いてどうことか、お金のかかることはできないので、どこまでも私なりに。

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715113804j:plain

 

御本尊はお寺に返してしまったのでありません。

日蓮宗は個人の位牌がなく、過去帳に記入されているので、過去帳が先祖代々の位牌のようなものです、さすがにこれは処分できません。

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715113823j:plain

 

で、この間作った両親のフォトを中心にして過去帳と並べていますが、なぜかこの作業をしている時って心の中で「ごめんね、ごめんね」と謝ってばかりいました。別にご先祖が怒ってるようでもないんだけど…。生きるのに精一杯だとどうしてもおろそかになってしまう現実とかあって。

 

介護をしている12、3年の間はこういうことは全部後回し、もしくはほったらかしで「生きている人優先」の対応をして来た次第です。まあ、当然といえば当然ですが。「ほっといてごめんね」という感じかなあ?

 

 

いろんなものが出て来ました。

父が亡くなった時の無駄に豪華な弔電とか。

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715113932j:plain

 

漆塗りの蒔絵なんですが、頑張って考えても使い道を思いつかなかったので、処分します、ごめんなさい。せめてA4サイズならファイルで使えるのになあ…。

 

 

すごい昔の写真が出て来た。

 

父が1歳にならない頃の写真…というと88年くらい前の写真か?祖母も若いです。ここに写っている人は全部もう故人だよね。

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715114247j:plain

 

えらいもんが出て来た。戦死した伯父の遺骨収集と慰霊のための名簿かと思われますが、多分これも遺骨が見つかった人はほとんどいないと思われます。伯父もそうです。

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715115312j:plain

 

 

まあ、今の感覚ではあまりそういうものに囚われない感じはあるのですが…。

 

 

 

これは覚えてる。父が亡くなった時に母が「パパが頑張ってくれはった記録」と言って残していた勤務日誌です。

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715114631j:plain

f:id:haruusagi_kyo:20180715114643j:plain

f:id:haruusagi_kyo:20180715114655j:plain

 

これは私も遺しておきたい。

 

 

あー、やったよ〜。四十九日にやっとかたがついたよ。よかったー(^_^;)

 

いつもしんどいからほぼ泣きながらやってるんだけど、無事になんとかなるとホッとします。達成感(^ ^)

 

でも疲れたから今日は他のことはきっと何もしないです。

 

 

 

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20180715115107j:plain

 

 

 

 

 

保存保存

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.