つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

備えあれば憂い無し、とでもいうのかなあ…心の準備

 

ぼちぼちですね

 

今日はクリニックの受診&血液検査で、帰りに役所に寄って来る予定なので、これも予約投稿です。

 

週末に出来たことというと、auの名義変更のための書類送付をお願いしたくらいです。まだあとガスと水道がありますが、それは今日明日に。J:COM関係で電気やネットとIP電話は私の名義で契約しておいてよかったです (^_^;)

 


死の姿が理解されない時代


死にまつわる話題ばかりですみません。

 

でもこういうことは元気なうちに考えておいた方がいざというときに心の準備が出来ているものですし…。

 

災害も結構遭遇しますけど、人間はほぼ100%近い確率で家族や身近な人たちの死に遭遇することが普通ですから…。

 

昨日、こういうつぶやきが流れて来ていました。実はしばらく前にも似たようなつぶやきを見た覚えがあります。

 

90代の親が肺炎になっていて、もう最期が近いのに、なんとしてでも延命してくれ、と頼む60代、70代の子供たち…。

 

 

 

 

 

 

 

 


私の父は自宅で亡くなりましたが、ナースのケアマネさんが「肺に水が溜まると溺れているのと同様なので、苦しいです」とか「尿が出なくなったらだいたい何時間後くらいです」とか経験上の最期を教えてくださったので、「あとどれくらい」という予想が出来ました。

 

父の場合は一度あちらに行きかけて、脈拍も30くらいに落ちたのに、私がほっぺたくっつけていたせいでか、一度戻ってきてしまいました。それから24時間ずっと目を開けていました。今度目を閉じたらおしまいだと自分でもわかっていたようです。それでも目を閉じる時間は来ましたが、「パパ、頭はクリア?」と聞いて「うん」と言った会話は忘れられません。

 

 

子供のころから…

 


私は結構家族の臨終に立ち合っているんですよね。

 

祖父は自宅で(いま私が寝起きしている部屋で)亡くなりましたし、祖母も病院でしたが、駆けつけて臨終に間に合いましたし。

 

以前の話ですが、遠い親戚のおばさんが、人工呼吸器で2年以上永らえて、家族の方がすっかり疲弊してしまったという話を聞いています。意識が戻らないままでしたし、酷な最期だったのかもしれません。

 

 


母は間に合っていませんが、もうあれだけ穏やかな最期ならなにも文句はありません。

 

両親ともに胃ろうのお世話になりましたが、それでもちゃんと平穏死というか、かなり自然に近い感じの死を迎えられたと思っています。

 

ずっと見ていたら本当にわかるんですよね。残り時間と自然の変化が…。父の最期に似ていた母の変化も…。たまたま、なんの占いかわかりませんが、(やっぱり算命学か四柱推命のような気がしますが)私も弟にも変化というか、別れの暗示が出ていたので、もしかすると、と思ったら、こういうことって皮肉にもはずれないんだなあ…。

 

ずっとそばにいるとなんとなくわかってくるんですよね。そういうことが出来なくなって、かえって患者さんに苦痛を与えるはめになっている、とこのツイートの方がおっしゃっていますが。

 

子供のころから身近な人や家族の「死」を見せるのは大事だと思います。
姪が4歳の長男にひいばあちゃんの死に顔を見せていましたが、ああいうことね。

 

姪も子供のころはあの世と近い距離にいたなあ…。いろいろ見えるタイプでしたが、それはまた別の機会に… (^_^;)

 

 


意思確認しておかないと家族はすごく困る

 

大層なエンディングノートは必要ないと思うんですが、終末期になったらどうして欲しい、という意思を伝えておくのは本当に大事だと思いました。私も心臓マッサージも呼吸器も不要です。…と、ここに書いておいて有効かどうかわかりませんが… (^_^;)

 

結局、後悔しない生き方の先に「悔いのない最期と穏やかな死」が続いているのだということはよくわかります。

 

穏やかな最期を迎えるためにみなさま、悔いのない生涯を送られますように… (^_^;) (宗教じゃないですよ)

 

 

 

 

この「天」についてはやっぱりよくわかりません。きっと解釈も多々あるのでしょうね。

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20180603200019j:plain

 

 

 

 

保存保存