つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

母はやはり入院しました

 

疲れる一日でした (ーー;)

 

午前二時に目が醒めたらそのまま眠れず。


家を出たのが8時過ぎで、帰宅が夕方5時ごろ。さすがに買物に寄る元気はありませんでした。お昼も抜きで帰宅後カップめんとアイスを食べるのが関の山 (ーー;)

 

昨日は朝から隣接病院でレントゲンを撮ってもらって、紹介状をいただいて、そのまま駅前病院に行って、リクライニング車椅子を押しながらうろうろして各種検査を受けて、診察室に入って結果を聞いたら午後2時を回っていました。

 

やはり身体の後ろ側、寝たきりだから下の方に水が溜まっていて、肺にもいくらか水が溜まっているそうです。それと電解質のバランスが崩れていて、ナトリウム値が低いらしいですが、この傾向はまだ倒れる前の頃(10年くらい前)からありました。原因はなにかよくわかりませんが…。

 

以前在宅の時に、私がエンシュアのゼリーに毎回塩を入れてみたりしていたのもそのせいでした。あとは若干徐脈傾向で、これも倒れる前からありました。1分間40台とかね。

 

うちの母はわりと若い頃、30代か40代くらいの時から心臓はグズグズ言っていた気がします。それでよく「救心」とか飲んでたんだなあ。高い薬ですけど…。

 

以前も心不全で入院したことがありましたが、今回もやはり心不全で、利尿剤などを主に使って投薬も含めて治療します、とのことでした。

 

私は父の最後の入院を思い出していました。父も最後は心不全で肺に水が溜まって何度か抜いてもらっていましたが、結局は他の臓器の働きも悪くなって、家で死なせてあげたいということで、ICUから退院、直帰して、半月頑張ってくれました。
酸素吸入はしていましたが、最後まで意識ははっきりしていました。

 

母も寿命があれば回復するでしょうが、もしも駄目ならそれが寿命だと思って、人工呼吸器はいりません、心臓マッサージもいりません、と担当の心臓内科の先生にお願いしてきました。手を尽くしていただいて、それでも駄目だったら本当に寿命ですよね。

 

片足になって頑張って、胃ろうになって頑張って、もうこれ以上頑張れとは酷だからとても言えません。母の顔を見ていたらそういう気持ちになりました。

 

辛い選択ではありますが、どうも私はそういう選択をするはめになっているようにも思います。

 

弟に相談しようと電話をかけたけど、10回くらいかけても出ないので、帰宅して文句を言ったら「頭がひどく痛くて寝てた」そうで、夜になっても降りてきませんでした。相談の甲斐もないです (ーー;)

 

 

 

すっかり知れ渡ってしまった (^_^;)

 


特養のみなさんが私の体調を案じてくださるんですが、前のパターンだと二日続けてだったら多分動けるけど、三日続けては自信がないです、と返事したので、じゃあ、今日がいいですね、となった気がしなくもありませんが…。

 

私も頭で入院するつもりで、タオルとかもろもろ袋に詰めて持参しました。
で、入院がらみの登録も書類記入も全部済ませてきました。


隣接病院から預かったレントゲン、向こうで預かってもらえないそうなので私が持ち帰りました。次回特養に行く時に持参するつもりです。

 

病衣はいつものようにお借りしますが、退院の時に着るパジャマだけは持参していて、用意がいいのか悪いのか自分でもわからないと思っています (^_^;)


あ、そういえば。看護師さんが母と私と見比べて「娘さんですか?」と言ってらしたので、もしかしたら歳の離れた姉妹に見えたのかもしれません。

 

以前、うーんと十数年前、母が乳がんの手術をする前で、一緒に検査のためにうろうろしていたら、乳腺外科担当の先生に「妹さんですか?」って言われたっけな (^_^;) 私は母の若い時の子供だから、そんなに歳も離れてないし、姉妹に見えてもおかしくないですが…。「すいません。苦労が多いので老けました (^_^;)」とか思わず言いそうになっちゃったよ (^_^;)

 

なーんか苦労が多いようではありますね、いまの人生。他人さまのことはよくわからないからこんなものかもしれませんが…。

 

 

家に帰ったら、缶バッジが出来て届いていました。イラストの方もほぼ出来てはいますけど、素材とかサイトのページ作りがあるので、それが出来てからですね〜。

 

今日はさすがにしんどいから行けない。出来れば明日に様子を見に行きたいと思っています。バスでないとタクシー代が高くつくんですが、いまだにヘルプマークをもらいに行けないままです (ーー;)

 

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20180526202938j:plain