はてなから送られてきた、去年の記事の中でも
やっぱり「しんどい」と言っていた。
さらに昔の記事でもやっぱり同じことを言ってると思います。
結局、何年経っても良くも悪くもなっていないことかなあ… (*-д-)-з
窮屈な世界の中で…
本来の自分とあまりにも違う価値観に出会うと、
自分が異星人にでもなったような
不思議な気分になることがあります。
例えば昨日見つけたこういうつぶやき。
世の中の多くの人は着ぐるみを来て生きてるのか。
それは随分と不自由なことだろうな…と感じてしまったからです。
女性を人間と見ていない男性って表現は、うんうん、わかる気がするってなって、そいじゃ誰を人間って見てるんだろう?って考えたら、多分、誰も「人間」って思ってないんじゃないか?ってなってきて。
「顧客」「上司」「部下」「後輩」「いじっていいやつ」等々を、人間って見てるのか?自分もさ。— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2018年5月19日
えーっとなんというか「着ぐるみしか見えてなくて、中身に気がついてない」って感じ??悪いやつって着ぐるみは見えてても、その人間には気がつかない、とかさ。中身の自分としてどう考えるのか?って聞かれても答えられないとことか。「人間って何?物とどう違うの?」の段階からかもしれん。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2018年5月19日
女性ははっきりと「着ぐるみ」を指定されるからね。ストッキングとかメイクとかヒールとかさ。着ぐるみ装着しないと女性として扱われない感覚、わかる人の方が多いと思う。男性の着ぐるみって、可視化されてないから「金」「地位」「立場」になりやすい可能性は??
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2018年5月19日
この先の先細り社会の中で、着ぐるみしか見えないタイプはますます生きづらくなるんだろうなぁーと思う。寂しくなって、寂しい同士共通敵を見つけてつるんだりするんだろうなーって。「他人の財布を気にしても、自分の財布の中身は増えない」は息子の言葉だが、分けてあげたい気持ちになったりもする。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2018年5月19日
男女どちらにしても不自由きわまりないと思ってしまうのが私です。
私には着ぐるみ必要ないから、他の人の着ぐるみなんかも
透視してみているというか、そもそも視野に入ってないと思います。
「お金」「地位」「立場」もその人の本質的なものとは
さほど関係ないんだもん。
どちらかというと性別とかもあんまり関係ないな。学歴とかもそうだな。
性格もちょっと横に置いておいた方がいい気がする。
そうすると見えてくるのはその人の本質に近い部分ですね。
それがわかればいいんだと思う。
私自身、女性的な着ぐるみが窮屈で邪魔だから
全部投げ出して一息ついた奴なんで…(^_^;)
メイクもヒールも投げ出して残ったのはかろうじて
ロングスカートだけでした。
これは好きだからいいんだよ。
私の基本はどこまでも「好き嫌い」なので、世間の流行なんて
どうでもいいんです。
好きなものを好きなように着るのだ。
男性は男らしくあれ、とも思わないし、泣きたい時には泣いて
どんどんストレス解消してお酒に逃げない方が健全だと思っています。
こういう生き方って別に私は辛くも寂しくもないけど、
あんまり同意してくれる人もないので、そこで孤独を感じるくらいです。
なんでみんなもっと着ぐるみ脱がないんだろう?不思議で仕方がないです。
窮屈なのに。「らしく」思われたいとかあるのかなあ?
悪いことをしているわけでもないし、ただ他人のことと
自分を比較しないだけなんですが。それと嫌われる勇気を持つのと。
私は多分、こういうことを生まれつき感じて来たのだと思います。
着ぐるみ脱いで楽に生きようo(^-^)o
窮屈なのは肉体の存在だけで充分ですし〜 (^_^;)