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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

消えない夢と残る希望と人生の伴侶

 

お彼岸休みのお絵描き


昨日、作業療法士さんから「すみません。明日休みなのを言い忘れてました」と電話がありました。いや、気付いてたんですが、多分休みだろうなあ、ということで、明日はちょっとゆっくりしていてもいいのかな?と思ってほとんどお絵描きしていた気がします。

 

 

私は本当に遅筆なんですが、でも気持ち的には「子供のお絵描き」となんら変わりはないと思っています。自由に描くには必要不可欠ですね。

 

「こういうふうに」という注文があると、それが私自身の趣味嗜好と一致する場合は問題ないのですが、そうでない場合は描こうとしても無理だということをいつしか悟りました。

 

それからはもう、本当に自分が描きたいように好き勝手にやっています。創作の原点はそれだと思うし…。

 

枠組みがある方が描きやすい人もいらっしゃると思います。締め切りという期限がある方が集中できる人も…。

 

私の場合は長い時間をかけてひとつひとつ試していって、自分には無理なことをひとつずつ排除していきました。そうすると、創作活動というのは純粋な趣味で置いておかないと無理だとわかったんですね。

 

非常に不器用だと自分でも思うのですが、もしかすると最高に贅沢な生き方かもしれません。


うちの家系を見ても、美術的な才能の遺伝は見つけることができませんし、そういう環境で育ったわけでもなく、専門的な勉強をしたわけでもないので、そんなに絵が上手いわけではないと自分でも思っております。いまよりも若い20代、30代に漫画を描いていたおかげで、難易度の高いポーズや構図をこなせるようになったことはありましたが…。

 

小学生の時から写生は得意ではありませんでしたが、いまでも写実画は得意ではありません。目の前に存在するものを忠実に描くよりも想像上の龍などを描く方が簡単です。脳の使い方がそれに慣れているみたいですね(^_^;)

 

 

 

別に下手でもいいんだよ


いま描いている途中ですが、やっぱり似てません(^_^;)

 

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似てませんけど、やっぱり描きたいから描いています(^_^;) それこそ背景に龍を描きたくて…。

 

結局、巧かろうが下手だろうが、そういうことはかなりどうでもいいのですね。それは心の中には向上心がありますが、ひとまず横にどけておいて、楽しみたい、というのは子供のお絵描きと同じです。描きたいから、楽しいから描く、という本能に近い魂の喜びと共にあります。

 

 

19日の夜にフォロワーさんとやりとりしたら、なんとなくそういう内容になりました。「夢」というのがテーマだったので…。

 

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私は闘病中でも左手が動いて上体を起こすことが出来たら、描いていたし、その時は「夢」という感じではなくてむしろ「希望」だったなあ、と思います。

 

どうしていまの私の人生にこれが用意されているのかわかりませんが…。子供の頃からずっとそばにあるもの…。それこそイマジナリー・フレンドみたいな…。人生の伴侶というのが一番ふさわしいかもしれませんね (^_^;)

 

 

 

絶望しそうでも消えずに存在するもの



style.nikkei.com

これもTwitterで知った記事です。

 

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