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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

国語と古典の教科書は広く深い読書への入り口でした

 

まだまだ眠いのです(ーー;)

 


昨日はなんとか予定通りに母のところに行ってきたんですが、行ったのはいいけど、1時間くらいいたけど、いるだけでなぜか眠くなる部屋なので、本当に椅子に座ったまま寝てしまって、自分でもなんだか異常だなあ、と思っておりました。

 

でもいまだに昼も夜も眠気に襲われるのと、半端じゃない疲労感があるので、おおもとで疲れてるんだろうな、とは思います。

 

22日が受診なので、それまではぼーっとしているかもしれません。耳鼻科も行けるようなら行きたいけど、あんまり自信がないです。買い物行くのも辛いくらいなので…。このしんどさを押してなにかをやろうという気力がありません。それでもまだブログを書いているだけましかも…。

 

 

国語の教科書の話


突然ですが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」をご存知でしょうか?まあ、有名だからほとんどの人がご存知だと思いますが。あの話の関係で突然私が思い出したことがありました。

 

小学校の給食の時間、「お昼の校内放送」というのがあって、音楽が流れている日とか、ラジオドラマが流れている日とか、いろいろある中で、朗読の時間があって、その時にいつも「蜘蛛の糸」が流れていたんですね。きっと他にも作品があったと思うんですが、あれしか思い出せないから、「蜘蛛の糸」のインパクトは強かったんだと思います。

 

きっとあのへんが原点だなあ、と思う。

 

王朝文学から題材を取った作品が多いこともあって、芥川の作品は中学生以降のすごく馴染みのある世界なんですよね。他にもいろいろ読んでいるけど、なんだか芥川作品は特別感が強いです。

 

で、中学と高校時代は国語と古典の教科書に出てくる作品の原典をほとんど読まないと気が済まなくなっていまして、「山月記」とか「杜子春」のような短い作品は別として、教科書のバックグラウンドに存在する作品群を片っぱしから読んでいた記憶があります。国語だけじゃなくて、古典もそうでした。ただし勉強はしませんでしたけどね(^_^;)

 

原典を読むとなぜかそれなりの成績は取れたんですよね。楽な時代だったなあ…。

 

高校生の頃にはちょっと背伸びして世界の文学の方に行っていました。ロシア文学にも手を出したけど、いまいち面白くないな、と思って途中で投げ出した記憶が…(^_^;) でもドイツとかイギリスとかアメリカとか、そのへんの映画の原作になりそうなものは読んでいた気がします。

 

教科書というのは読書の世界への入り口でした。思春期のまだ好みもいまいち未確定の時代だったから、素直に受け入れることが可能だった作品もありました。教科書の入り口は結構多種多様でしたよね(^_^;)

 

 

 

1日がとても長く充実していた頃


これだけの本を読んで、漫画を描いて、手紙も書いて、片手間に学校行って、仕事して…って感じで、思い返すとよく時間があったなあ、と感心するんですけどね(^_^;) クラブ活動とかそういうのは全部捨ててやりたいことやってるとそうなるみたいです。後悔してないからそれでよしとしましょう。

 

あ、ついでに勉強もほとんどした記憶がありません。帰宅後の時間を有効に使うために、授業を集中して聞いていたのは本当です。それでそれなりのテストの点数は取れたし。自由時間を全部やりたいことために使ってたんだなあ、と思います。

 

教科書が入り口になるというのは、数学好きな人なら数学の教科書だろうし、理科が好きな人なら理科の教科書が入り口だろうし…。その頃は、地理とか歴史とか、理科全般も結構入り口になってたなあ、と思います。そういうふうに知識欲が盛んで、頭も柔軟なのが10代の特権かもしれませんよね。

 

嫌いなことはやってないから、勉強も全てが嫌いで苦手なわけじゃなくて、教室にいる間は集中しているから楽しかったかも、と思っています。

 

蜘蛛の糸」から当時の思い出を引っ張り出してしまいました(^_^;)

 

 

 

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