お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

内なるトラウマ克服とパニック克服は介護がきっかけでした

 

聴力が少しずつ改善の方向に…


昨日、耳鼻科で「普通の会話なら出来るようになりました。内緒ごとの小声は聴こえませんが(^_^;)」と言いましたら、聴力と鼓膜の検査をしてくださいまして、結果的に左耳の聴力は回復しつつあるようです。

 

「ましになったと感じたのはいつですか?」
「この前の通気のあとですね。なんだかすごく《抜けた》感触があったので…」

 

私の場合は神経は無事みたいなので、まだ改善の可能性があって「時間があれば出来るだけ来てくださいね」とのことでした。単純なようでも通気って効くんだなあ、と実感しているところです(^_^;) 

 

「病院の規模とかじゃなくて、通気の上手い先生にかかるのがコツ」とかネットでも見かけました。補聴器がなくてすむならそれにこしたことはありませんし…。今年は29日から休診なんですけど…。もう一回くらい行けたらいいなあ…と思います。

 

 

放送されても恥ずかしくなくなった

 

帰りに寄ったドラッグストアで、耳鼻科の処方薬をどこかに忘れたことに隣のコンビニで気づきました。慌てて戻ったらちょうど薬剤師さんが館内放送で呼んでくださっているところでした。落としたらしいです。タイミング的にちょうどのことでした (^_^;) 

 

そろそろ疲れているから要注意ですね〜。寝不足かもしれないけど…。今夜はデパス飲んで寝ます(^_^;)

 

しかし本当に「もっと他人の話を聞け」っていうことだよね〜。本当にわかりやすい身体の声だと思います。

 

結構身体は自己主張をしていて、足りない栄養素があれば自然と要求したり、疲れていたら休めと伝えてきたりするので、それに注意していれば、あんまり無理をしないでいられる気はします。ストレスはなるべく溜めない方がいいと思うし…。全部バランスの問題かなあ、と感じるこのごろです。

 


読書の内容とのデジャヴは続く


このごろの眠気のせいで、読書が全然はかどりませんが、相変わらず、内容のデジャヴは続いています。

 

この記事前にいつ書いたかな?と思ったら去年の11月でした。

 

haruusagi-kyo.hateblo.jp

 

このごろの既視感については、「私みたいな一匹狼でも、価値観や人生観やその他のことが共通する人がこんなに存在するんだ、嬉しいな」という気持ちになっています(^_^;) 

 

内向的人間だから、あまりリアルの社会で同類に出会う機会が少ないですが、ネットを通じて、書物を通じてなら、本当に意外なくらいにお仲間みたいな人と出会います。書物の場合は時を超えちゃうしね。そういう出会いも含めたら楽しいことが倍加しますね(^^)

 

悪夢を見ない私の感じ方


睡眠に関することですが、私は悪夢を見ません。自分でも不思議ですが、本当に見ません。

 

あんまり怖いものがないのかもしれません。お化けとか幽霊とかそういうのも見ないし。夢うつつ状態の時には勝手に自分のイマジナリー・フレンド達が出てきてくれるし。

 

高いところから落ちる夢とか、追いかけられる夢は若いころはよく見ましたが、そういう夢でさえ怖いと感じていない自分がいたりして…。屋根の上をふわふわと飛ぶ夢などは非常に気持ちがよかったですし、一時期はよく見ていました。

 

原発事故や戦争の夢、地球の終わりの日とかも見たけど、いつもどこかに希望が残るので、私には悪夢になり得ないのですよね。脳が勝手にそういう変換をしているみたいです。このへんが夢の中でもポジティブ… (^_^;)

 

 

繰り返す唯一の悪夢と記憶

 

ただ、ひとつだけ、何十年にも渡って繰り返し見た夢があります。精神的にはきつかったから、あれは唯一の悪夢かもしれません。

 

高2の時にパニック障害と内臓的な病気を併発した時、休養期間だけでは改善せずに、「出席日数だけはどうにもならないから、机で寝ててもいいから来い!」と言われて、点滴受けて、タクシーで走って授業に出るという…。

 

あの時は本当にきつかったです。そのこと自体は覚えていても、その他のことはほとんど記憶が飛んでるくらいですから…。トラウマになったんだと思います。

 

このシーンの夢はその後、30年くらいの間、繰り返し繰り返し夢に見ました。「またか…」と思って目が覚めます。もう学校に行かなくてもいいんだ、と安心したりして…。きっと何十回は見ていると思います。それが私の唯一の悪夢ですね。

 

 

それじゃあ、どうしてその夢を見なくなったかというと、やはり父の介護と関係が深いです。責任を背負ってしまったから。

 

パニック障害が治ったのも間接的には介護のおかげですし、自分以外の家族の生命の判断を背負うということ、真剣に考えて判断するということ、そういうことがものすごく重かったんだと思います。

 

でもそのことで克服出来たものが多かったので、一皮剥けた感じかな?蝉の脱皮みたいに…。非常に遅ればせながら、精神的な自立を果たせたんだと思います。

 

自分が真剣に考えて判断することは間違っていない、という結果によって、さらに自信もつきますし…。いつのまにかそういうもろもろろのことで自分の内なるトラウマを克服したんだな、と思います。そういうことになるとは自分でも予想していませんでしたが、本当にこれも思いようによっては神様のギフトみたいにも思えますね。

 

 

結局プラスだけでもマイナスだけでもないのね


いやー、人生って思いもよらない展開に満ちているから本当に面白いですね〜 (^_^) 頑張った自分にはどこかでちゃんとご褒美が待っているし。

 

耳が治るだろう、っていうのもご褒美みたいなものですよ〜 (^_^;) そこでわかったことがあったからさ。このへんのからくりって本当に面白いなあ、って思います (^_^;) 

 

私は多分若い頃の病気とともに自己嫌悪とかも払拭して来たんだな、と思います。10代の手紙にどれだけ「自己嫌悪」という文字が溢れていたのか、自分が一番よく知っています。それも卒業しちゃったね。そしてポジティブ指向に変化したんだと思います。

 

いくつになっても殻を脱ぎ捨てる可能性はあると思う。だから寿命が来るまで諦めなくても大丈夫ですよ、きっと (^_^)

 

 

 

 

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